Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

古寺巡礼「夢殿観音」について
「古寺巡礼」(和辻哲郎著 岩波文庫)は単元で分けず、内容として私の興味関心を惹いたものを順次取り上げようと思います。今回取り上げるのは「夢殿観音」です。本単元で述べられている夢殿観音は、現在「百済観音」と通称されている像のことで、文章にはその特徴が詩情豊かに表現されていました。「このフェノロサの発見はわれわれ日本人の感謝すべきものである。しかしその見解には必ずしもことごとく同意することができない。たとえばこの微笑をモナリザの微笑に比するのは正当でない。なるほど二者はともに内部から肉の上に造られた美しさである。そうして深い微笑である。しかしモナリザの微笑には、人類のあらゆる光明とともに人類のあらゆる暗黒が宿っている。この観音の微笑には瞑想の奥で得られた自由の境地の純一な表現である。モナリザの内にひそむヴィナスは、聖者の情熱によって修道院に追い込まれ、騎士の情熱によって霊的憧憬の対象となり、奔放な人間性の自覚によって反抗的に罪悪の国の女王となった。この観音の内にひそむヴィナスは、単に従順な慈悲の婢に過ぎぬ。この観音の像が感覚的な肉の美しさを閉却して、ただ瞑想の美しさにのみ人を引き入れるのはそのためである。~略~夢殿観音の生まれたのは、素朴な霊的要求が深く自然児の胸に萌しはじめたという雰囲気からであった。そのなかでは人はまた霊と肉との苦しい争いを知らなかった。彼らを導く仏教も、その生まれ出て来た深い内生の分裂からは遠ざかって、むしろ霊内の調和のうちに、ー芸術的な法悦や理想化せられた慈悲のうちに、ーその最高の契機を認めるものであった。だからそこに結晶したこの観音にも暗い背景は感ぜられない。まして人間の心情を底から掘り返したような深い鋭い精神の陰影もない。ただ素朴で、しかも言い難く神秘的なのである。そういう相違がモナリザの微笑と夢殿観音の微笑との間に認められると思う。」今回はここまでにします。