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「補遺 修験道の世界」について&読後感
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「補遺 修験道の世界」について気になった箇所をピックアップいたします。「修験道は、『修』行して『験』を獲得する『道』という意味である。『験』は『験力』を意味し、超自然的な力、いわゆる霊力をあらわしている。この修験道にいそしむ者を修験者という。おもに山中で修業するので、山に伏す者というところから、『山伏』ともよばれる。」さらに修験道とは何かを解説した箇所がありました。「そもそも、民衆が求めていたのは、高尚な宗教哲学などではなかった。そんなものは、かれらにすれば、なんの役にも立たない。求められていたのは、日々の暮らしに直結する現世利益と、臨終と死と死後にあたっての儀礼や供養であった。そこには、時として、呪いや祟りといった、おどろおどろしい領域も含まれていた。そこはまさに密教の領域だった。~略~修験道の修験道たるゆえんは、いまふれたような領域をにないながら、かつ仏教の基本を継承しつづけてきたところにある。それは仏教、わけても大乗仏教の基本理念とされる『上求菩薩  下化衆生』、つまり『おのれの悟りを求めることと、人々を救済することは一つである』という文言に尽きる。」そんな修験道の歩みは困難を極めていたようです。「明治初年は、ご存知のとおり、宗教弾圧の嵐が吹き荒れた。廃仏毀釈、神仏分離は、ひとり仏教のみならず、神道にも多大の被害をおよぼしたが、廃止令まで発布されたのは修験道だけである。それだけ、厄介な存在だったということになる。すなわち、修験道は近代化からはじき出された存在であった。そして、じつは密教そのものもまた、近代化とはあまり縁がなかった。しかし、このことが逆に、21世紀に復興する理由ともなってきている。」今まで私は時間をかけて本書を読んできましたが、真言密教の寺に伝わる曼荼羅の視覚的興味だけで、密教のさわりに触れ、その深さがどんなものであるかくらいは知ったつもりになっています。宗教はどんなものであれ、個人の死生観に関わっているところがあり、私も俄かに自らの死を意識し始めることになったら、祖先が敬ってきた顕教なり、もう一度密教を学ぶなりしてみようと思っています。今回は雑駁な理解で本書を閉じますが、再度密教に戻ってきた時は、もう少し細部を把握していきたいと思います。