Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「復活、 諸宗教、宗祖」について
「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)の2つ目のパート「開祖と聖人の生と死」は5つの章から成り立っています。今回はそのうち後半の3つ「第6章 死と復活」と「第7章 諸宗教の開祖と預言者」と「第8章 聖人と宗祖」の気に留めた箇所を拾います。「仏教の物語は対立を生み出す煩悩が消失するところに焦点を置いており、開祖の死をめぐっても社会的対立などは描かれない(釈迦はみなに惜しまれて死ぬ)のに対して、キリスト教の物語は収拾のつかない対立の悲劇に焦点を置いており、神自身が、不条理の中で死ななければならない人間の死を引き受ける形になっている。」諸宗教について触れた箇所がありました。「東アジア生まれの儒教と道教は相互補完的な宗教セットである。儒教は祖先祭祀の儀礼に重きを置き、孔子や孟子の倫理的教えに従って社会の秩序や儀礼を守る。道教は儒教に対するカウンターカルチャーであり、老子と荘子の無為自然を奉じたり、不老長寿を理想とする仙界のファンタジーに遊んだりする。孔孟思想や儒教が人生のパブリックな側面を仕切るとすれば、老荘思想や道教はプライベートな本音に沿う形となっている。」ユダヤ教についても言及しています。「キリスト教とイスラム教を生み出す母胎となった紀元前からの宗教、ユダヤ教には開祖はいない。ユダヤ教の教典であるタナハ(旧約聖書)の冒頭に置かれる『創世記』は天地創造と人類の始祖アダムとエバの物語から始まっているが、アダムとエバを開祖と呼ぶわけにはいかないだろう。」仏教の宗祖を論じた文章に、私の興味がある像が登場してきたので、そこを取り上げました。「仏弟子の姿から発展したものが羅漢像であるが、仏弟子たちの歴史的後継者である学問上の創始者や宗派の宗祖たちもまた、基本的にはリアルな姿で造形されている。その典型が奈良の興福寺にある有名な運慶作の無著像だろう(兄弟の世親の像もやはり名作である)。無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)は4世紀のインド大乗仏教の哲学者(方相宗の教学家)である。」本書は図像学入門としているので、性質上図版を多く載せています。そこはNOTE(ブログ)で表せないところです。今回はここまでにします。