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「カトリック教会の融合政策」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第1章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は6つの単元からなっています。今回は「5 カトリック教会の『融合』政策」と「6 『融合』論を超えて」の最後の2つの単元を取り上げます。まず、「5 カトリック教会の『融合』政策」から。「信仰の対象であるイエスや聖母の『異民族化』が、教会の方針として一般的に見られるようになったのは、20世紀の1930年代以降であるが、その発端は、本論が対象とする16世紀、17世紀に、『偉大なる伝統文化をもつ』国である日本と中国で、そこに布教した宣教師の創意に始まったのである。~略~16世紀当時、帝国と教会は先住民を野蛮または素朴とみなし、政治的には植民地化し、文化的には強制的にキリスト教を移植した。しかし、同じ時代にあっても、ポルトガル布教圏の日本、中国では、かれらはこの両国を『高度の文明をもつ独立国』として認識し、有利な交易を行なうが植民地化はせず、文化的には『既存の文化を尊重し、西欧文化をこれに適合させる』という政策をとった。」次に「6 『融合』論を超えて」には「信仰における普遍的なもの」という副題がついていました。「キリストこそキリスト教の唯一の神であり、聖母は二義的な存在である。聖書はマリアについてイエスを生んだ母であるという以外にはこれを崇敬するための記述は一切していない。」それではなぜ聖母を信仰の対象としたのか、こんな論述がありました。「聖母は、太古の母神から、生命の授け手、万物の豊穣という本質を譲り受け、キリストの助け手として教会によって召還された女性であった。民衆の信仰心の基層に残る大地母神への信仰をすくいあげ、キリスト教の中心に、生命の授け手であり、母性の象徴であるマリアを置くことによって、本来は家父長的であり、男性中心であり、女性嫌悪であるユダヤーキリスト教を、より調和的な、より慈悲に満ちたものにすることに成功したのである。~略~世界布教の開始期にあたる対抗宗教改革期は、このドグマがルターらの聖母崇敬否定論によって危機に陥った時期であった。したがって、これに対抗したカトリック教会は、聖母崇拝のあらたなキャンペーンを張る必要があり、16,17世紀はこの近代化された聖母図像の一大興隆期となったのである。このことが、布教における聖母の優勢を導きだした教会側の理由であった。」今回はここまでにします。