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4つの庭園における時代変遷
亡父が造園業を営んでいたおかげで、私は空間造形としての日本庭園に関心があります。現在読んでいる「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)は時代背景に沿った庭園史がまとめられているので改めて庭園を見直す契機になります。自分の関心が高いのは後期式枯山水であることが分かり、さらに本書では慈照寺(銀閣)、竜安寺、大仙院、退蔵院の4つの庭園を比較検討し、時代変遷を辿るとともに絵画からの影響や構成の変化に関する論考に自分の興味は尽きません。注目した箇所をピックアップします。「(慈照寺は)銀沙灘や、向月台は、禅的象徴主義の表現として、ようやく枯山水への本格化に向かって、歩み寄りつつあったことが考えられ、この白砂檀は波心の表現なのである。かような空白の芸術としての白砂檀が現われると、今度は、この同じ前庭への白砂敷の場所が、やはり一方では空白感を盛りつつ、一方ではこれを海洋風景として、やや具体化する動向をたどりつつ、枯山水へ向かって一大発展を遂げたものが竜安寺の庭園である。~略~竜安寺の場合では、白砂敷の前庭から、やっと一段発展したまでの意味で、そこには、十五石が配置されたのみで、まだ一木一草を植えるまでには至っていないのである。この場合では、まだ絵画的な、たとえば水墨画的な意図としての、山水画的庭園などは考えられていなかったのであって、ようやく、枯山水としての独立した、又は確立したばかりの庭園として構成されたことが考えられるのである。~略~(大仙院は)全庭の構成が石組本位であることと、しかもこれらの石材料が、青石系統のものであることである。全庭を石組本位として構成したことは、いうまでもなく水墨山水画的表現に、もっとも必要があったからであり、特に馬夏風な山水画の再現を庭園構成の上から希望するとすれば、やはり石組本位とするのほかはない。~略~(退蔵院の)枯山水は、あくまでも水墨画的であっても、それが日本画としての狩野派のごとき、やや鈍重な表現をもっている。石材料も青石系のもののほかに、花崗岩的なものも相当豊富に用いられていて、これを大仙院の庭園と比較する時、やや時代のくだっているものを表現しているのみでなく、宋元山水画などに見る雄勁さが失われていて、どことなく親しみのある、円満な表現とされている。」