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「超現実主義の可能性と不可能性」について
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「超現実主義の可能性と不可能性」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。「レアリスムという芸術上の用語は、現在ではもはや芸術上の一流派としての専制力を示すことができないのはあきらかである。芸術上の或るものであったひとつの時代的効力は失われている。もしいまだに芸術家の正義!?とでもいうべきものが、漠然とした信念をこのレアリスムに固執せしめているならば、当然、意識の歴史から瓦解を余儀なくされるべき迷蒙である。」本稿は1932年に「新潮」に掲載された記事で、当時はレアリスムが流行していたようです。この時代にフランス発祥の超現実主義を日本の芸術界に理解させようとする著者の奮闘が読み取れます。「超現実主義が最初にとった態度は、あらゆる合理主義への反抗、無意識の世界の探求などであった。~略~超現実主義は、ヘーゲルの哲学から出発する点において、史的唯物論との向動力の類似を示すものである。ブルトンによれば、結局否定に、否定の否定に向かう或る思想の実行は、かならずしも経済の範囲だけに限界を決定することはできない。超現実主義が愛、夢、狂気、芸術などの諸問題に対して、革命的角度から直面する態度をけっして観念主義ということはできない。まず超現実主義のひとつの発展、道徳・政治・科学への新しい認識の発展はひとつのヘーゲリアニズムから出発したとはいえ、けっしてヘーゲルの弁証法がそのまま適用されたものではなかった。」今回はここまでにします。