2024.06.21
「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第1章「詩的実験のはじまり」の気になった箇所をピックアップしていきます。「瀧口の『遅れて来た』処女詩集は、晩年にまとめられた『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(1967年)である。瀧口の作品集と言えば画家との共同による詩画集が主であり、自身の詩のみによるアンソロジーとしてはこれが唯一のものである。」我が家の書棚にも「瀧口修造の詩的実験」(思潮社)があり、「限定復刻版」となっており、その都度眼を通した記憶がありますが、到底読破など出来るものではないと感じていました。本書はそれに関する解釈があって、有難いと思います。「シュルレアリスム受容の実際は、方法論的にも不確かなものであった。それは瀧口に限ってのことではない。当時シュルレアリスムにならった詩人たちは、実は抽象度の高い表現を用いる造形的な詩を書く者が大半であった。そして詩のモダニズム、前衛主義の旗印として無自覚にシュルレアリスムを掲げたために、詩壇は混乱し論争は絶えなかった。」瀧口のテクストの内容に関する文章です。「一読して内容に一貫性がなく、話の筋と思われるものもあやふやな、『傍注から傍注が飛び出す』独特の書法で書かれた瀧口のテクストは、さまざまな制約から離れた自由な表現がなされる今日の詩や芸術一般から見ても、常識を越えていると言わざるを得ないだろう。それは新たな詩的表現が誕生したという以上に個性的で、他と比較しようのないものである。」単元の最後にこんな文章が綴られていました。「見えてきたものは、硬質的な物質のイメージが求められている詩の世界というよりも、統一を拒む、不確かな、言葉のカオスの状態である。ここでは、『ぼく』=瀧口という主体の立場が何度も覆り、次々に変化していく意識から常に脅かされている。混乱する『ぼく』とおびただしい数の『彼女』。しかし、描かれる現象がたとえ移ろいやすいものであっても、根底をなす世界そのものには大きな原理が見え、生命を持つかのようにそれがうごめいているのである。」今回はここまでにします。