2024.07.17
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅰ 抽象芸術の本質と性格」の前半部分について、気になった箇所をピックアップいたします。「抽象絵画のなかに、キュビスムの場合のような現実の物体のデフォルマシオンや様式化を探し求めることはまったく無駄である。抽象の過程と様式化の過程とはまったく無縁なのだ。キュビスムは現実の物体の上に細工をする。一方、抽象芸術は物体を、消去するか、または感動として、あるいは作品に始動を起させるショックとしてこれを受け入れるにすぎない。~略~キュビスムを抽象芸術の先駆者だとか、類縁だとか考えてはならない。キュビスムは単に抽象の芸術のひとつの現われにすぎず、いわゆるアプストレはその出発点でも到達点でもないのである。壜から円筒をつくろうと、円筒から壜をつくろうとーなぜならキュビスムの方法を大ざっぱに要約すればこうなるからだがーこのふたつのやり方でつねに問題になるのは、物のさまざまな扱い方であって、物そのものはつねに目の前に在るのである。そしてキュビスムがむなしい形骸をさらし、さらにみずから守ろうとした厳格な法則をもあまりにあっさり放棄したのは、物がキュビズムの支えであると同時に限界であり、さらにまたキュビズムを誘惑してやまないものだったからにほかならない。」これはキュビズムの発展の先に抽象芸術があると考えるのは間違いと指摘した箇所です。「抽象芸術が具象芸術にくらべて、それを見る者からずっと多くの努力を要求するということは疑う余地のない事実だし、これこそ具象芸術の場合に昔から存在していた作者と鑑賞者のあいだの交流が、いまだに抽象芸術家と公衆とのあいだで達成されていない理由でもある。抽象芸術は公衆にいっそう多くの知性を要求する。なぜなら抽象芸術はすでに自然の存在している形態とは似ても似つかぬ形態を提示するからであり、またこの未見の形態、つまり他のものを想起させるいっさいの手がかりや、《具体物》とよばれるものとのあらゆる照応関係を断たれたこの形態は、ありのままそれ自体として経験され、理解されねばならないからである。」今回はここまでにします。