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新聞記事より「幸福とは何か」
昨日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。 トルストイ」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「ロシアの作家の小説『アンナ・カレーニナ』(中村白葉訳)の書き出しだ。幸福については定義をしないまま、味なことを言う人が多い。歌人・演劇家の寺山修司は逆に、『不幸はいつも同じ顔をしているが、幸福の顔は、それぞれ違っている』と書く(『幸福論』)。幸福を一つの達成と考えるか、目的とは無関係な悦びと捉えるかの違いか。」私は哲学書にある幸福論を読むことを避けてきました。3人の哲学者(ヒルティ、アラン、ラッセル)の「三大幸福論」を書店で一度は手に取ったものの購入には及びませんでした。幸福とはこういうものだと定義されると、反撥を覚えるかもしれないと感じていたからです。人は生きていく上で幸福になりたいと希望するのは、誰しも同じで私にもそれはあります。それは地位、名誉、財力とは違うものだろうと私は思っていますが、それでは幸福とは何なのか、面と向かって考えたことはありません。幸福論とは別の厭世論に、まず私は興味関心を抱きました。幸福論や楽観主義より、その真逆に位置する厭世主義の方が私には分かり易かったこともあり、その時は感情としてよりは、純粋な学問として厭世論を受け入れたのでした。ショーペンハウアーをよく読み、その中で論じられていた幸福論もありましたが、ショーペンハウアー流の幸福の捉えが私には妙に納得がいくものがありました。それを知らなかった若い頃は幸福の境地という桃源郷があって、そこに到達したいとボンヤリと考えていましたが、現実としてそんなものは夢幻に過ぎないと当時から思っていました。今回の記事から私の心に響いたのは、「(達成しようとする)目的とは無関係な悦びと捉えるか」という文章で、自分の真の目的に達成しようとする道程に幸福感があるならば、それはそれでいいのではないかと思ったことです。通過点が私にはピンとくるのです。