2025.11.18
「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)の4つ目のパート「儀礼と修行の可視化」は4つの章から成り立っています。今回はそのうち前半の2つ「第14章 求道の階梯」と「第15章 大宇宙と小宇宙の照応」を扱います。「禅宗には、一人の求道者が悟りを求めてから悟りをものにするまでの流れを、若者が牛を捕まえるプロセスに擬して描いた十枚セットの図様がある。~略~十牛図は師匠のもとで坐禅を修行する者の精神トリップを象徴的に描いたものだ。~略~ここにある社会性は唯一、十枚目の絵で次世代に伝道していることだけである。こうした内向性は次で見る『天路歴程』の巡礼の外向的なビジョンとは大きく異なる。」そこでキリスト教を見ていきます。「『天路歴程』が前提とするプロテスタンティズムによれば、人生という試練の場の最終的な結論は天国行きではないとしたら地獄の滅びであるが、『神曲』が描くカトリックの世界観ではもう一つ可能性があり、それが煉獄だ。絵の背景にそびえたつのは南半球にあるという煉獄山である(七つの大罪ー傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、貪欲、暴食、淫乱ー応じて七つの段階がある)。」次に 大宇宙と小宇宙の照応について。「一神教の論理によれば、神が自らのイメージに従って人間を造った。他方、歴史的に見るならば、先史時代のいつかの時点で人間が神(神々)のイメージを生み出したことは間違いない。神が先か人間が先かはどうしても水掛け論になるが、いずれにせよ神々と人間は照応あるいは鏡像の関係にある。~略~インドで発展した仏教の最終的な形は密教であった。これは人間と神的対象(ここではブッダ、如来)との、イメージの中での照応関係が最大限に活用される。つまり修行者がイメージの中で大日如来などの尊像を構築し、ブッダと自らが一致することを目指すのである。この場合のブッダは宇宙全体の本質のような存在であり、小宇宙である人間と大宇宙であるブッダを一致させてしまうことを端的に即身成仏と呼ぶ。~略~キリスト教の神学では、人間でありかつ神であるキリストこそが、人間と神の媒介者である。ここから派生して、キリストが小宇宙(人間の体)と大宇宙(世界全体)との一致を体現しているという密教的な捉え方も出現した。」今回はここまでにします。