2025.12.02
今日から「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)を読み始めました。これは先日まで読んでいた「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)に続くもので、つい先日、池袋のジュンク堂書店で購入したものです。宗教を学問として考えると、人々の信仰に纏わる心理状態と、布教という組織的活動が齎す社会的活動が絡み合って、大変深みのある事象が導きだされてきて、私自身の興味関心が尽きません。日本にキリスト教がどのような経路でやってきたのか、そもそもキリスト教の布教戦略とはどんなものだったのか、本書から紐解けることで私自身が得るものは大きいように思えます。本書の序論に主題となる文章がありました。「布教の世界地図を俯瞰すれば、スペイン人入植地のアメリカと、ポルトガル人入植地のアジアとではそれぞれ母国の政策の差異、そして、征服されるべき対象国の文化の差異によってその政策は大きな相違を生んだ。スペイン人が入植した南アメリカの各地では、その土着文化が破壊され、住民は殲滅されるか、奴隷化された。しかし、ポルトガル人が征服の対象としたアジアのうち、中国と日本は、この時期の西欧人の世界認識において、『例外的存在』であった。それは第一に、西欧とはきわめて異質であるが、きわめて高い同等の文化をもっていると西欧が認識したこと。第二に、両国は、ウォーラーステイン(※米の社会学者)によれば、世界システムの『圏外』におかれていたということである。すなわち、16,17世紀の時点においては、両国は、南アメリカや東南アジア諸地域におけるような征服/入植/奴隷売買の対象にならなかったのである。~略~日本には、まず布教の初期には、16世紀半ばから末にかけてローマで形成された対抗宗教改革期固有のマリア像が輸入され、それが模写された。その後、信者と聖堂が増加し、マリア像の需要が大幅に上昇すると、組織的な工房や学校がつくられ、招聘されたイタリア人画家が画工を育成し、聖母像も日本人の手によって量産された。~略~その時かれらは、『仏教』の観音像とみられるものを『聖母像』として崇敬した。旧来キリシタン研究者は、これは、仏教徒となるべく強制された信者らが、カムフラージュのために、既存の仏像を『転用』したのであると解釈してきた。しかし、当時の記録によると、この像は、信者によって真の『聖母マリア像』としての崇敬を受けていたのである。」今回はここまでにします。