Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「『聖ルカの聖母』の到来」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第4章 聖母像の日本への到来」は3つの単元から成っていて、今回は「3初期布教期の聖母神と『聖ルカの聖母』の到来」について取り上げます。「これは筆者の一貫した主張であるが、日本に来たものは多かれ少なかれ、どこぞの西欧の貧乏寺の遺品であるとか、手に入れられるものは何でも備品扱いで持って行ったという旧来の通年は誤りである。イエズス会は海外布教を会の一大使命としており、それは『正しい』信仰を広めるという対抗宗教改革特有の方針に裏付けられていた。宣教の強力な武器である画像に気まぐれは許されない。それは正しい信仰心を鼓吹する正しい画像でなければならない。したがって、日本に来たものの大部分はむざんに破壊され、残存しているものは断片に過ぎないとしても、その断片から全体を復元することは、けっして不可能ではない。そこでは細部までもが統制を受けていたからである。~略~布教の第二期、つまりトレント以後の布教にともなって、イエズス会宣教師の持ってくる図像に変化が起こった。そして、ローマの本部の方針によって、あらたに『聖ルカの聖母』が到来した。『慈しみの聖母』ではなく『導きの聖母』である。~略~東京国立博物館の所蔵になる、銅板に油彩の《聖母子》は、この『聖ルカの聖母』像にほかならない。~略~東京国立博物館にある像は、よりヴァレリアーノの絵画に近い。これが招来されたものか、または日本人画家が模写したものかは不明である。その表面の損傷が激しく顔料の剥落もあるためにこのイコンの芸術性が著しく損なわれたためか、この画像の重要性が認識されなかったためか、この画像が日本にあることの重要な意義が今まで看過されてきたのは残念である。」日本には西洋のような修復技術も保存技術もなく放置されてきた結果が、画像をこんな姿にしてしまったのだろうと思います。たとえ教会を模した寺にあっても、湿度の高い日本では西洋絵画の保存は近代になるまで実現できなかったのでしょう。今回はここまでにします。