2015.02.26
モデルが雇えない時代にその代替として自画像を描いている画家がいて、そんな時代の優れた自画像が数多く残されています。そうでなくても自分を見つめることは表現者にとって必要なことで、そんな理由から自画像を描いている人もいます。自分は高校時代に受験デッサンで鉛筆による自画像を描いた記憶があります。大学に入ってデッサンと油絵で1点ずつ描いたくらいで、当時も自己を見つめていた自覚はありますが、実は自画像は得意ではありませんでした。自分の骨格に立体性が乏しいのが原因で、どう描いても気に入った作品が出来なかったのです。自分は自画像が極めて少ないのですが、ある時自分が作る作品は全て自画像ではないかと思ったことがあります。当時の人体彫刻は塑造台にモデルを立たせて作っていましたが、自分に何故か似ていました。どんなに技巧が身についても、どこまでも自分そのものでした。作品が抽象に移っていっても、自分自身がそこに存在していました。思索に富んだ作品を作る作家でも、そこに自我が隠されていて、それも自画像だと最近は思えてなりません。自己の在り方を顔のない自画像として具現化しているのが今の自分ではないかと思っています。