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映画「エマの瞳」雑感
先日、常連になっている横浜のミニシアターにイタリア映画「エマの瞳」を観に行ってきました。主人公は盲目の女性エマと仕事漬けでプレイボーイのテオ。この2人の恋愛が中心になる物語ですが、境遇が対照的な2人がどうして惹かれあうようになったのか、お互いを補填しあう関係によって、生きること、愛し合うことの真実が見える映画になっているように私には感じられました。図録にこんな文章がありました。「これまでの作品にありがちな、障がい者の能力を称賛したり、彼らの境遇へ同情を向けるようなものではない。~略~わたしたちにとっては”特別な”彼らの日常を、わたしたちの恋愛という”ありがちな”日常と交差させ、わたしたちにとっても”特別”でないものにさせること。~略~身体的に盲目を病むエマと、心の盲目を病むテオ。盲目に捉われず、実質的に正常で充足した生活を送っているエマ。”見えない”心を患うテオは、エマに好意を抱きながらも、保守的な固定観念に縛られ、そこから中々脱却することができないでいる。」(ジュゼッペ・コッツォリーノ著)この文章が示す通り、お互いが不器用になってしまうほどの大恋愛を通して、それぞれが内面と向き合い、自己を問う場面もありました。とりわけテオは仕事に奔走する外見とは違い、母親や妹には距離をおく臆病な男として描かれていました。変化を受け入れるとはどういうことか、愛しいと思う感情にはさまざまなニュアンスが含まれていることを、この映画は語っていました。映画の冒頭に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の体験場面が出てきました。これはドイツの学者が提唱したもので、暗闇の空間で、日常生活のさまざまな事柄を聴覚や臭覚など、視覚以外の感覚で体験するワークショップです。盲目のエマとテオが体験を通して出会う場面ですが、よく練られた動機づけになっていると思いました。