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「モディリアーニ」第10章のまとめ
「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第10章「モディリアーニ神話とその後」のまとめを行います。享年35歳で世を去った天才画家、妊娠中の妻も飛び降り自殺をしたことで、モディリアーニはその衝撃性ゆえにさまざまな伝説が生まれ、物語化、映画化をされてきました。「モディリアーニは自由放縦に生き、亡くなるとすぐに友人や同時代の人々はその喪失を実感し始めた。向こうみずで美しく、傲慢不遜で貧しい彼はその短い生涯のうちに時代の理想と成果を集約していた。~略~『セックスに耽溺し、酒浸りで、不道徳で、危険な魅力にきらめいている存在として画家たちのことを表現するのがはやった』頃には、この街の作家やレストランの主人たちはモディリアーニの神話と魔力を風化させないでおく必要性を感じた。彼らはモディリアーニについての誤った風説によって豊かになり、モンパルナスはヨーロッパの中心的な観光地に発展していった。」私は40年前の20代の時にパリを訪れていました。モンパルナスという地名や「エコール・ド・パリ」という名で集まった画家たちの足跡を辿っていました。その頃は既に観光地になった場所で、土産用の絵を売る人たちが野外に出店していて、とりわけ興味を引くものがありませんでしたが、時代を遡れば前衛芸術家と称された彼らが、そこで必死に足掻いて生きていたことに、私は敬意を払ったことを思い出しました。モディリアーニについての誤った風説が罷り通っていたにしても、モンパルナスは観光客を引きつける魅惑的な土地になったことは確かでした。モディリアーニと妻ジャンヌの葬儀に触れた箇所に注目しました。「兄のエマヌエーレはリヴォルノから『彼を花で包んでください』と電報を打った。そしてモディリアーニの柩は彼の愛したみずみずしい花でいっぱいにされた。~略~ジャンヌはモディリアーニの葬式の前日に自殺し、友人たちは合同葬儀を望んだが、ジャンヌの父親はこの提案に恐れをなした。彼女の葬式はモディリアーニの葬式の翌日、注目を避けるために朝の8時にとり行われ、ジャンヌの友人たちにはこないでくれと頼まれた。『十分なスキャンダルだったのです』」モディリアーニと妻ジャンヌが同じ墓地に眠るようになるのには、それから10年という歳月が必要だったのでした。