2024.06.24
「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第2章「絶対への接吻」の気になった箇所をピックアップしていきます。「『絶対への接吻』(1931年)は、長編の詩的実験では最後の作品にあたる。~略~一文には『惹きつけられた』『魅入られていた』『思い焦がれていた』などの恋愛感情を表現するような言葉があり、これが『絶対への接吻』が恋愛詩であるとする決め手となっていった。だが、その『絶対に魅入られていた』という言葉によって、『絶対への接吻』は恋愛詩であると同時に解読不可能なテクストとされるようになったのである。」さらにシュルレアリスムとの関連も述べられていました。「シュルレアリスムの自動筆記とは、無意識から浮かび上がってくるイメージを意識からの統制を可能なだけ弱めて書き写そうとするものであるから、話の筋もなく、原則として起点も終点もない。『絶対への接吻』の場合ははっきりとした話の終わりはないものの、ぼくが純粋直観の女性から襲来されたところから始まるという明確な起点がある。瀧口は自動筆記法を方法としてではなく、テクスト内の物語りのなかに組み込んでしまっているのである。」純粋直観の女性についてはこんなふうに述べられていました。「『絶対への接吻』のなかで中心的に描かれていることは、純粋直観の女性の姿形がどんなものであるのかということである。ぼくの存在はあまり感じられず、圧倒的な存在感は彼女のほうにある。それは『絶対への接吻』=純粋直観の女性、と言ってよいほどである。」最後にこんな文章も添えられていました。「超実在から超現実へとシュルレアリスムの訳語をひそかに正した後、瀧口は美術批評家へと転身する。実在を越える対象であったはずの純粋直観の女性を逃したことによって、実は瀧口は自分が抱え続けた矛盾を結果的に解消することができたのではなかったか。」詩の洞察は自分にとって難解極まりないと感じていたところに解説が与えられて、私はちょっとホッとしていたのでした。今回はここまでにします。