2024.07.08
「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第5章「ジョアン・ミロの詩情」の気になった箇所をピックアップしていきます。「『詩の直接な形成力』という表現は、詩と絵画の領域をひとつのこととして考えたいとする瀧口の、詩に対する認識を知るうえでも重要なのではあるまいか。瀧口にとっての『詩』とは、究極において『形をもたぬもの』(『アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々』1972年)であるのだから、文学の世界だけでなく、絵画やオブジェ、映像のなかにも滑り込むことができるものと言えるのではないだろうか」そこでスペインの画家ジョアン・ミロとの関わりになってくるのです。「瀧口は単純でミニマムな俳句的表現を好み、絵画や夢の世界に超現実的な詩情を探す。しかし、その一方では自分に向かって照りつける太陽の激しさや、無秩序で奔放、放埓でもありうる強い精神を求めていたのであり、その点において瀧口が共感を抱くことのできた画家はミロしかいなかったのである。」私は若い頃に、瀧口修造とミロとの詩画集を見つけ、そのコラボレーションに憧れを抱きました。ミロが来日した際にも瀧口が案内していたのをテレビ報道で見た記憶があります。詩人と画家との精神的な繋がりが、作品世界を一層深淵なものとし、また同時に開放感あふれるものにしていると私は感じています。20代の頃、私はウィーンに落ち着く前に、スペインのバルセロナを旅して、そこの丘の上に建つミロ美術館で、絵画だけでなく陶器や織物、さらにそれらを配置した空間にも感銘を受けた記憶があります。ミロが何気なく描く線や面は、素朴な子どものようであり、でも日本の前衛的な書のような自由と抑揚を持ち、詩情を湛えています。晩年になって、こんな世界が創れたらいいなぁと羨望を抱きながらミロの作品を鑑賞しています。瀧口修造の詩の断片を思い出しながら…。