2024.10.28
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。まずエステーヴ。「エステーヴのタブローでは、映像の心的投影と感覚の運動とのあいだに、稀にみるほど強靭な造形上の大きな統合が組織されている。この組織化は、ただ形態と色彩の構築が、固有の論理、固有の『理知』を課せられてゆくにしたがって、合理的になるだけであり、それは、理知的というより、はるかに感性的なものなのだ。なぜなら精神紀以上、その都度肉体化に新しい形態を与えるために、またこの洞察と、人間と世界との深の役割は、ここでは感覚の記憶を、いくつかの大きな図式に還元して、それを形態化するだけなのだから。時に幾何学的な様相を見せてはいるが、エステーヴの絵画は本質的に生命的なものである。」次にル・モアル。「タパや魔術的な描線に満ちたポリネシア芸術、高度に知的であり、その上じつに感動的な造形性を持ったポリネシア芸術が、ちょうど日本の版画が、印象主義者たちに、あるいはニグロ彫刻がキュビストたちに対して持ったと同じ役割をある世代の抽象画家たちに対して演じたといってもさしつかえない。ここでそれを詳述することはできないが、この親近関係は、きわめて啓示的である。しかし、ル・モアルを支えているものは、深い内面性、ある内向的な感覚であり、それは、この寡黙な秘められた芸術の主導線のように思われる。」最後にサンジェ。「サンジェのタブローは、宋代の中国絵画と同じくー同じ方法と理由によってー見るものの全存在が、肉体も魂も、タブローのもっとも内部の中心にまで歩みよることを要求する。作品を見るものは、このように、完全にそれに溶けこむまで、じっくりと忍耐づよく五官と心とをともに働かせ、浸透させ、統合させ、混淆させる。この融合こそ、凝視の目標なのだ。最後に人は、自分が見る対象になりきってしまい、それに自分自身のなかの最良のもの、もっとも生き生きとした活発なものを与えるのである。」本書に登場する画家は、私の浅学のために作品を知らず、画家をネットで調べた後に、その画家の文章のどこを切り取るべきか考えながらNOTE(ブログ)を書いています。日本では未だ定着していない欧州の画家が多いことが分かりました。