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「ティツィアーノ」について・1
「芸術家列伝2」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ティツィアーノ」について、2つに分けて気に留まった箇所をピックアップいたします。「色を塗っているときに、いつも自分の目の前に、裸婦姿であれ着衣姿であれ、モデルがいる、というのは悪いことではない。紙にデッサンを描いているうちに、だんだんたやすくデッサンも着色もできるようになる。こうして芸をみがいていけば、様式もでき、正しい判断もできあがる。そして前述のような絵画制作上の徒労や無理から脱却するのである。また紙にデッサンすることによって、頭に次々とすばらしい着想が浮かぶことはいうまでもない。そしてたとえいつも手もとにないにしても、自然の事物をみな頭にとどめることを覚えてしまえば、古代ローマやそのほかの完成した諸作品を身ならうことをしなかったヴェネツィア派の画家たち、ジョルジョーネ、パルマ、ボルデノーネなどの従来の様式にみられるような、『デッサンを知らないがための無理を、漠たる色彩によって隠さざるを得なかった』などどいう羽目に陥らずにすむはずである。」ヴェネツィア派であったティツィアーノにもその傾向があったようです。「ある日、ミケランジェロとヴァザーリはベルヴェデーレにティツィアーノを訪ねたが、その折、ティツィアーノが描きあげたばかりの一枚の、ダナエとして表わされた裸の女が、金の雨に化けたゼウスを膝の上に抱いている図を見せてもらった。人前ではいつもそうするものだが、ティツィアーノに向かって二人はその女の図をほめちぎった。しかし彼の邸を辞去した後で、ティツィアーノの手法について論じながら、ミケランジェロはかなりいろいろ批判して、こう言った。『ティツィアーノの色彩も様式も私の気に入ったが、しかしヴェネツィアでは、まず最初にデッサンを学ぶということをしない。これは残念なことだ。ヴェネツィアの画家たちは勉強の仕方をもっと改善することもできように、その点が惜しまれる。もしあの男が、あれだけ天賦の才があるのだから、技術を磨きデッサンで進歩したら、とくに実物を描写する訓練をしたら、もう匹敵する男はいないであろう。ティツィアーノは実に美しい精神の持主だし、実に愛らしく溌剌とした様式をもっている』これはまことにもっともな説で、デッサンをしっかりやらず、古代や近代の作品を選んで研鑽をつまなかった者は、当然のことながら、技倆がうまくないし、また実物をそのまま写した物に手加減をくわえることができない。自然というものは、通常美しくない部分を仕上げるためには役立つが、実物をそのまま写しとった物に、あの完璧な優雅さを与えるもの、それが自然とは次元を異にした芸というものなのである。」今回はここまでにします。