2025.09.12
昨日、千葉県立美術館で開催している「髙島野十郎展」に行ってきました。以前に蠟燭の炎を描いた作品を私は見たことがありましたが、まとまった作品を見たのは初めてでした。画面の隅から隅まで丹念に精緻な写実で描かれた風景や静物や人物像などに、作家の世相に左右されない硬派な性格を感じ取りました。写実表現の宿命ですが、技術の巧みさに驚いていたにも関わらず、見慣れるとその不変のスタンスに印象が薄くなってしまう事実もあります。しかしながら、こうまでして写実に打ち込めたのは作家が仏教思想に共感していたことに関係があるのかもしれません。その数多い作品群の中でも、私にとっては月や蝋燭を描いたものが写実の奥に潜む思索が読み取れて、興味が湧きました。その背景を知りたいために図録を求め、そこに記載されていたことに注目しました。「野十郎はとくに晩年において月の作品を手掛けたが、最初は月夜の風景を描いていたのが、次第に絵から風景が捨象され、最後には本作《月》のように闇に浮かぶ満月という究極の表現に至った。月を盛んに描いたのには、仏教的な関心があったことは間違いない。野十郎によると、月は観音様の生まれ出る穴だという。円相を想起させる、余計な要素が一切含まれない満月の絵は、『慈悲』をめぐる野十郎の仏教的な思惟の最終形態であったと思われる。~略~『蝋燭』は、野十郎芸術を最も象徴する作品であり、生涯飽くことなく描き続けられたものでありながら、個展などでは決して発表されず、お世話になった人や友人に贈られていたという。蝋燭自体が仏教的な意味合いのある主題であるが、それを贈るという行為が、仏教でいうところの献灯の儀を想起させる。決して消えることのない永遠の炎を描きたかったのか、あるいは炎が消える最後の瞬間を描いたのか、想像は尽きない。」(高山百合著)写実表現は眼に見える事物を巧みに描くだけで、一般の人から見れば分かり易いし、また評価もされるのですが、難しいところはその表現の背景に思索的なものがあるかどうかで、作品が印象に残るかどうかが決まるように思います。本展では月と蝋燭がその深遠さで際立っていたように思います。