Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 夢の話
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。これが創作活動に結びつくのかどうか疑問ですが、一昨晩私は明け方に夢を見ていました。私はあまり夢を見る方ではないし、また夢を見たとしても起床と共に忘れてしまうことが多いのです。昔の夢の記憶としては、キリスト教徒でもない私が、イエスの磔刑像を木彫で作っている場面が出てきて、十字架にはりつけられたイエスのうなだれた手をどのように彫っていこうか思案しているところでした。その夢の原因は、長野県の山里に住むキリスト教徒の師匠が、自らの工房で数々のキリスト像を作っているのを目の当たりにしていたことが、夢に現われたのではないかと思いました。今回の夢は自分の工房ではなく、自宅でもなく、高校の教室のような場所で、ダンボールに油絵の具を塗っている場面でした。離れた所に何人かの友人がいて、それぞれ作品を作っていました。私が塗っている油絵の具は丁寧とは言えず、掠れて塗れていないところもあり、私はそれで良しとしていました。夢の世界では制作動機はなく、ただ現象が現れているだけで、そのいかにも粗雑な作りが自分なりに気に入っているのでした。夢を見ていた時が明け方と分かるのは、私はそこで目が覚めてトイレに行ったからです。また寝床に入ったら夢の続きが始まりました。嘗て読んだ精神分析学者のフロイトによれば「夢の記憶には、日中の体験のなかで、些末で、それゆえまた注目されなかったことを好むという奇妙な傾向がある。そのため、夢が日中の生活に依存していることがまったく見落とされたり、また少なくとも、個々の場合すべてにそうした依存があるという立証をするのは困難にならざるをえない。」(6.23.2015付NOTEより)とあって、夢の分析の難しさを論じていました。人は何故夢を見るのか、私には不思議でならない人間の深層心理です。自分が覚醒し意識して行っている創作活動と、夢は無関係だろうと思っていて、土という確かな素材に触れている感覚は、決して夢幻ではないと信じています。