Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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汐留の「ウィーン・スタイル」展
先日、東京汐留にあるパナソニック汐留美術館で開催されている「ウィーン・スタイル」展に行ってきました。私は1980年から85年までウィーンに住んでいて、同地の国立美術アカデミーに通っていました。アカデミーの裏にはセセッシオン(分離派会館)があり、O・ヴァーグナーによるマジョルカハウスもありました。そこにはナッシュマルクト(青果市場)もあって、生活には欠かせない場所でした。そんなふうに身近にウィーン様式に浸る毎日でしたが、その由来を紐解くために本展を訪れました。図録より引用いたします。「建築、デザインそして美術の分野において、ウィーンの芸術は1900年以降、フランス、ベルギー、ドイツを発祥とする植物的・有機的なアール・ヌーヴォーの国際的潮流から距離を取り、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動や、チャールズ・レニー・マッキントッシュに代表されるスコットランドのモダン・デザインの影響の下、独自のウィーン・スタイルを確立していった。この独自のウィーン・スタイル発展の推進力となったのはオットー・ヴァーグナーの理論的著作と彼の建築学校(1895年)、ウィーン分離派の設立(1897年)、ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーのウィーン応用美術学校への教授就任(1900年)、そしてウィーン工房の創業(1903年)だった。~略~ウィーン世紀末の前衛的なデザイナーたちは、ビーダーマイヤーを近代的な住文化の出発点と見なしていた。住人の社会的地位を示すためではなく、実用性と快適さを重視するプライベートな住空間としてのインテリア。詩的な遊び心と、優れた職人技によって生み出された日用使いの調度品の数々。また自然への回帰と再発見もビーダーマイヤーの主要テーマであり、その代表例として、象徴的な意味での花が、絵画やウィーン磁器工房の磁器類、ガラス製品、テキスタイル、そして文学や音楽にまで用いられた。」(パウル・アセンバウム著)そんなウィーンの華やかな時代の産物は店舗などで見ることが出来て、街の散策には眼を楽しませてもらいました。旧市街にO・ヴァーグナーによる郵便貯金局があり、構造体がそのまま装飾にも通用する実践例として、私は頻繁にここに行っていました。その頃、私は自作の象徴化、抽象化を頭に描いていたので、こうした建造物が少なからず、自分に影響していたのではないかと今でも思っています。