Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「デューラーの宗教版画」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第7章 キリスト教銅版画の成立」は5つの単元から成っていて、今回は「3デューラーと対抗宗教改革期の美術」と「4ヴァッリチェッリアーナ図書館蔵『トマスの不信』の下絵作家と版刻者の特定」と「5対抗宗教改革期の教義における『トマスの不信』の解釈とその意義」の3単元を取り上げます。内容に通底するのは「トマスの不信」ですが、私はデューラーに関する箇所に着目しました。「デューラーの宗教版画は、その制作意図においても、技法においても、様式においても、少数の王侯貴族や文人の美的享受のためのものではなく、民衆を中心とする広範なキリスト者への福音伝達を目的としていた。~略~デューラーは《小受難》を1509ー10年に制作している。彼が二度目にヴェネツィアに滞在したのは1505年である。デューラーが、コネリアーノやトレヴィーゾ等の新しい祭壇画の図像を目にする機会があったことは確実である。キリストの全身とトマスの関係はトレヴィーゾそのままであり、顕著な類似を見せる。ただ、相違点は左手の動作である。トレヴィーゾが左手を下においているのに反して、デューラーのイエスはサン・マルコ大聖堂のモザイコのキリストとまったく同様に肘を折り曲げて手の聖痕を見せている。」次に日本に関する論考に及びます。「日本は、ローマから世界的に伝播した図像を正確に導入し、信者に伝えていたのだという事実の一端を明らかにした。布教書の挿絵版画は、管見のかぎりでは、今まではほとんど研究されていない。ただ、菅野陽氏の『日本銅版画の研究』(美術出版社、1974年)があるだけである。しかしながら、これらの布教書版画は、そのテキストとともに、対抗宗教改革期の宗教上の革新と、芸術上の革新とを結び付け、それらがともに、日本にゆがめられることも薄められることもなく導入され、それらによって、日本は、世界の広大な地域とその文化を共有していたということが、具体的に明らかになった。天草1592年のデューラーほど、そしてそれが日本の画家によって描かれていたということほど、日本キリスト教美術がルネサンス文化圏のなかにあったということを雄弁に語るものはない。」今回はここまでにします。