2017.01.17
工房でお茶を飲みながら、若いスタッフや職場の人と話す内容は、畢竟美術のことばかりになります。若いスタッフは現代アートを網羅する思索を続けていて、また大学院で先端芸術を専攻しているため、仲間も多く創作環境も整っています。職場の人たちは絵を描き始めたばかりで、写実的描写のノウハウを学んでいます。美術への関わり方に相当な温度差がありますが、それでも話題が成立するのは、美術の特殊な性格にあるのだろうと思われます。美術はその歴史において、新しい潮流を取り入れて表現の幅を広げてきました。それは表現の更新ではなく、従来の価値観も認めながら新しい表現を足し算してきた結果、古典的な表現形式から現代の地域活性や社会問題提起に至る広範囲な表現形式まで並立して存在する媒体になったと言えると私は考えます。そうした中で、自分がどこに軸足を置くかで表現方法や造形による主張を決めていくべきで、現代の流行や潮流に流されることなく、己の信じる創作活動を続けていくのが良いと思っています。私自身の考えを言えば、日本では地域発のトリエンナーレ等が隆盛を極める中、美術は町興しだけのイベントになっている傾向はあるのではないか、一方画室に籠もって旧態依然とした制作を続けている人に閉塞感はないのか、社会的なニーズのない活動に今後の活路はあるのか、さまざまな考えが去来しているのです。人は何故無用のものを作りたがるのか、経済的な支援を夢見ながら、それでも何かを創作していくことは人間でなければ出来ない行為です。人間の脳にそうした働きがあるのかどうか専門外なのでわかりませんが、表現の拡散した昨今、創作活動本来の動機を探っていくことも一興かなぁと思っています。