2022.12.06
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の2つの単元をまとめます。ひとつは「ディオニュソスの秘祭」で古代ギリシャについての論考です。もうひとつは「形なき生の方へ」でケルトの美を扱った論考です。まずディオニュソス信仰とは何か。「紀元前2000年頃、北方アーリア民族の一派アカイア人が北からギリシャの地に侵入してきたが、アテネはこのアカイア人の後裔たるイオニア人によって誕生した都市国家だった。彼らイオニア人の考える神々の世界は、アーリア民族の戦士貴族性を反映して、天空の父神ゼウスを頂点にする階層化された世界だった。これに対し先住民族の神々は、大地に、あるいは大地の内部に、混然と住んでいた。ディオニュソスもそのような神々のなかの一柱だった。」ディオニュソスの属性は常軌逸脱、錯乱、暴力、性、猥雑さであって、ゼウスの秩序とは相容れないものでしたが、大衆の動向を利用する政治家によって、これを受け入れたのでした。「男根の行列と狂喜乱舞を特徴にするディオニュソスの秘祭は、生の豊饒を称えながら死の不吉さを漂わせていた。死と生が遊びながら共存する有り様を、それも両者が混然と融合する深い有り様を表していたのである。」私が嘗て読んだニーチェの「悲劇の誕生」にはディオニュソスとそれに対比するアポロンのことが描かれていて、興味を覚えたことを思い出しました。「人は、いつの時代においても、ディオニュソス、アルミテス、メドゥーサの体現する生の矛盾に憧憬を持ち続けている。すぐれた芸術家とは、このような人間の内的欲求に応えて、作品という物体に生命の矛盾を、死と生の遊びを、宿らせることのできる者のことである。」次はケルト民族の、とりわけ貨幣の図像について述べた箇所に注目しました。「フィリポス二世金貨は、もはや跡形もないほどに変容を蒙る。表のアポロン神はケルトの英雄へ、裏の二頭立て戦車は馬と戦士に、しばしば馬だけに、変えられる。それだけではない。ギリシャ古典美学の整形美が根本的に否定される。貨幣面の小宇宙は得体の知れない力に襲われて、人も馬も解体を強いられた。渦巻模様、S字形曲線、部分の理不尽な誇張などによって、形あるものがその形を奪われ、異様な流動を表わすようになる。」これは自然環境による美意識が、古代ギリシャ・ローマから北方ケルト民族へ移動変遷する際に相反するものに変化したことを表しています。「巨大な水道橋や闘技場を建設しながら、美術作品としては生彩に欠ける彫刻や壁画ばかり残したローマ人を思うとき、わずかに貨幣と工芸品に装飾図像を表しただけで作品らしいものは何も残さなかった独立ガリア期のケルト人の不在の美学は、逆に生命の息吹を感じさせて、すがすがしい。」