Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「人形1933ー1934」について
「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「人形1933ー1934」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ベルメールは人形制作を決意して、芸術家としての新たな一歩を踏み出した。『私は、新たな欲望を開拓するに至るまで情熱の頂点を再生させられるような、解剖学的な可能性をもつ人造少女を創造しようとした』~略~技師の専門知識をもつ弟のフリッツは、あらゆる仕事を放棄して人形制作をサポートした。憎き父親によって強要された技巧能力は、ついに、彼に衝撃と嫌悪感のみを突きつけるために用いられたのである。~略~ベルメールは脚部に関して困難を抱えていた。彼は木の接合箇所に単純なねじとしめ釘を使って脚とトルソをつなげようとしたが、その際に厚い木製の円盤を接合箇所に当てがった。最終的にはフリッツが木製の球体を使用することを提案し、ずっとしなやかに脚を動かせる関節を実現した。~略~『人形』に収録された10点の写真に加えて、少なくとも他に18点の人形写真が存在する。ベルメールは二つの動機から刊行のための10点を選択した。一つはフェティッシュ制作の進行過程を明らかにすることであり、もう一つは人形が喚起するエロティックな強迫観念を鮮明に伝えることである。しかし、選択からはずされた写真も魅惑的であった。~略~ベルメールの序文は、無邪気に思われた子供のたわむれが、大人の想像する罪のない性的妄想からいかに隔たっていったかを明らかにしている。人形は切断された身体パーツの必ずしも満足のいくアマルガムというわけではないが、『デフォルマシオンの塩』を含んだ写真群は荒々しくも不穏な、禁じられた幻想の体現であり表現であって、『悪徳と魔術の必要不可欠な総計』で構成されているのである。~略~妻や母親や弟の協力にもかかわらず、ベルメールは芸術家として孤立を痛感していた。しかも、ナチス支配下のベルリンでは非難と攻撃の的になりやすかった。ベルメールのつくるような作品は堕落と頽廃の烙印を押され、むしろイヴォ・ザリガーの《パリスの審判》のようにアーリア人種の美を表現したいんちきくさい神話作品が傑作としてもてはやされた。」今回はここまでにします。