Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「即身成仏」について
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第二章 キーワードで考える日本密教」の中の単元「即身成仏」について気になった箇所をピックアップします。「完成期の密教、つまり中期と後期の密教にとって、その最大の課題が、いまこの世で生きているうちに悟りを開くこと、すなわち即身成仏にあったことはまちがいない。しかし、即身成仏という言葉そのものは、どの密教経典にも見いだせない。早い話が比較的あとになってあらわれた造語なのである。~略~即身成仏の明確な定義もしめされている。ようするに即身成仏とは、父母から生まれた肉身のままで、速やかに大いなるホトケの境地を得ることである。~略~即身成仏という言葉も、また不空の造語だったにちがいない。もちろん即身成仏という言葉は登場しなくとも、この言葉によって喚起されるところは、『大日経』や『金剛頂経』などの、いわゆる中期の密教経典に語られてはいる。というより、中期以降の密教の目的が即身成仏にあったことは、疑いようがない。」それでは日本ではどうだったのか、日本密教に関する箇所を引用いたします。「日本密教の伝統では、即身成仏はどのように考えられてきたのだろうか。~略~日本の即身成仏にまつわる思想は、空海の『即身成仏義』を原点とする。だから、空海の即身成仏思想が日本密教の即身成仏思想の根幹をなしていると考えてかまわない。~略~即身成仏という四文字からなる熟語に、三つの訓み方があたえられる。次いで、その一つ一つに、『理具成仏』・『加持成仏』・『顕得成仏』という具合に、異なる成仏の名が付けられるとともに、密教特有の複雑きわまる教義が語られる。~略~理具成仏が真実ではあっても、現実の世界では、人間は生まれながらの清浄な状態をとうてい保ちえない。煩悩のほむらに焼かれ、無明の闇に迷う哀れな存在でしかない。したがって、ほんらいの清浄な状態に回帰しようとすれば、いわゆる三密加持の行法をいとなまなければならなくなる。」次の単元は「三密加持」についてですが、慣れない宗教用語に解釈が覚束ないところもあります。密教を学ぶのはなかなか厳しいなぁと思いつつ、今回はここまでにします。