2025.01.24
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第二章 キーワードで考える日本密教」の中の単元「三密加持」について気になった箇所をピックアップします。まず三密について。「即身成仏が密教にとって最大の課題であるとすれば、それを実現するために実践される修行の総称が三密加持である。~略~三密とは、身密・口密・意密から構成され、身体・言語・心のそれぞれに配当された活動を意味する。この三文法は、人間活動のすべてを仮に三つに分けて把握したまでで、三密とは、じつは人間活動の総体にほかならない。」次に加持について。「私たちとホトケとの間に、おのずから無時間的な交流がはかられ、私たちとホトケが融合し一体化することが、加持である。この点に関して、空海は『大日経』の論旨を明らかにした『大日経開題』のなかで、加持とは『入我我入、これなり』と述べている。入我我入というのは、ホトケが我のなかに入り、我がホトケのなかに入るという意味で、ようするに私たちとホトケが融合し一体化することにほかならない。~略~この入我我入の代表的な修行法は、『大日経』が説く『五字厳身観』と『四支念誦』、『金剛頂経』が説く『五相成身観』である。どれも、日本密教にとって欠くべからざる重要な観法の地位を占めている。~略~空海がこのかた、整備された段階の日本密教では、入我我入を実現するための行法として、三つの観法が最秘とされてきた。その三つとは、『入我我入観』、および『正念誦』と『字輪観』である。」空海が説いた諸説が出てきて、私は些か混乱していますが、文章の中で一番長く取り上げられている正念誦の具体的な行法をピックアップします。「両手は、念珠をかけたまま、説法印を結ぶ。左右の手は、三寸ほどの間隔をたもち、胸の前でたなごころを外側に向ける。本尊を安置する高さは、本尊の臍輪が、修行者の口にあたるようにする。次いで、本尊のなかに心月輪を瞑想する。具体的には、直径が八寸ばかりの水晶でつくられた丸い壺を想像するといい。同時に、修行者も、みずからの胸のなかに、心月輪を瞑想する。その心月輪の中央に、『阿(ア)』の種子を瞑想する。色は金色もしくは、所定の真言を、梵字のかたちで瞑想する。いずれにしても、種子や真言が、心月輪の内より外へと順にめぐると瞑想する。~略~この一連の行為のさなか、修行者が意識的に操作していることを忘却したとき、そこに入我我入の境地が現前する(はずだ)。」今回はここまでにします。