2025.02.13
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第四章 修業と秘儀から考える日本密教」に入ります。その中の単元「月輪観と阿字観」について気になった箇所をピックアップします。「月輪観は、密教の修業のなかでは、基礎の基礎である。これが成就できないようでは、密教の修業は何ひとつ学べない。月輪観を簡単に定義すれば、みずからの心の本性を満月にたとえ、如実に体得するための修業法である。~略~まず最初に、月輪を描いた紙あるいは布の掛け軸を用意して、本尊とする。月輪の大きさはだいたい35センチくらい。本尊をかける位置は、修行者が坐っているところから、25センチから120センチくらいまで、自分で好きなようにしていい。ふつうは50センチほど離す。坐り方は半跏趺坐でも結跏趺坐でもかまわない。~略~次に、大日如来の真言である五字真言『ア・ヴィ・ラ・フーン・カン(ア・ビ・ラ・ウン・ケン)』を、100回唱える。~略~このとき、すでに図像の月輪と、自分のなかの月輪という区別は失われているため、自分自身が宇宙大に展開したという感覚にとらわれている(はずだ)。」さらに月輪観から阿字観へ文章が続きます。「この月輪観のすすみ具合を、善無畏は『無畏三蔵禅要』のなかで、つごう五つの状態に分けて詳しく述べている。~略~第一の状態は『刹那心』といい、胸のなかに月輪が観想できても、すぐ消えてしまう初心者の状態を指す。第二の状態は『流注心』といい、観想した月輪がいったん消えても、また再びあらわれ継続して瞑想できる状態を指す。第三の状態は『甜美心』といい、修業を積み重ねて、月輪観の境地を十分に味わうことができる状態を指す。第四の状態は『摧散心』といい、修業に専念しなかったために、瞑想に支障が生じる状態を指す。第五の状態は『明鏡心』といい、月輪観が完成の域に達した状態を指す。~略~月輪観が修得できると、阿字観を修業することになる。阿字観を修業する目的は、『阿字本不生』を悟ることにある。~略~修業が順調に進んでいけば、最終的には、阿字を実践している自分と、月輪のなかの阿字とが、一体化し融合して、自他の区別がなくなる。」今回はここまでにします。