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廃墟となった自画像
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の8つ目の章は「廃墟となった自画像」という題がついています。本章では建築家ジョン・ソウンについての論考です。「ソウンは1753年、レンガ職人の末男として生まれた。やがて彼は、摂政時代(ジョージ三世の治世中、皇太子ジョージ[のちのジョージ四世]の摂政期間。1811-20)のロンドンでもっとも成功した建築家として、ジョン・ナッシュ(1752-1835。イギリスの建築家・都市計画家)と競い合うようになる。ソウンは当時のイギリスで、もっとも美しいインテリアのデザインを手がけた天才的な建築家だった。こと建築という仕事に関するかぎり、彼は非常に几帳面で、有能であり、世知にたけていた。しかしプライベートな生活となると、内省的で、メランコリックな一面をもち、ひどく気短なところも見せた。ソウンはレンガやモルタルや土地造成といった、味も素っ気もない建築の世界に、はじめてロマン主義運動の『疾風怒涛』をもち込んだ建築家である。~略~彼が建築事務所で最初にやらされた仕事が、イーリングの古い館に新しい家屋をつけ足す作業の助手役だった。のちにこの館を買い取ったソウンは、館を壊したのだが、唯一壊すことをしなかった所が、若年、彼が自分の家屋の拡張を手伝ったところだった。館を入手して2年後の1802年、彼は報道関係者に次のような原稿を送った。『最近、イーリングのピッツハンガー館で、非常に古い神殿の遺跡が発見されました、古代をこよなく愛する人々にとっては喜ばしいことなので、ここに情況を報告します』。~略~もちろん、廃墟は人をいっぱい食わせるための悪ふざけである。そして原稿もまた、『ジェントルマン・マガジン』誌に定期的に寄稿している古物研究家が書く論文の体裁をまねた模倣作だった。~略~ソウンは自分の家のファサードを『1枚の絵、つまり一種の自画像』としてデザインしていた。それは成功のまっただ中にいた建築家の自画像、そして建築の権威としての自画像だった。してみると、こうした一連の解釈は、30年後に彼が、改めて自画像を廃墟にしたという事実を説明するものなのかもしれない。」今回はここまでにします。