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オジマンディアス・コンプレックス

「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)の9つ目の章は「オジマンディアス・コンプレックス」という題がついています。「18世紀を通じて支配的だったローマの美徳を讃える気持ちは、その一方でローマの悪徳に対する考察とつねに手を携えながら、人々の胸中を去来した。1763年、七年戦争(1756-63。イギリスと同盟したプロイセンと、フランス、ロシアの支援を受けたオーストリアとの戦争。北アメリカではイギリスとフランスの植民地戦争がおこなわれた)に勝利して、アメリカとインドに新たな帝国を獲得したイギリスの将軍たちは、トーガ(古代ローマ市民が外出時に着用した上着)をまとい、ローマの胸当てを身につけた姿で絵画に描かれることになる。~略~『ローマ帝国衰亡史』(エドワード・ギホン著)はヨーロッパの過去と現在と未来について議論したものだが、それは単なる政治の書ではなく人類の叙事詩だ、と文芸評論家のハロルド・ボンドは述べている。『衰亡史』は『18世紀の口語で記された散文で、ミルトンの〖失楽園〗に比肩しうる』という。ギホンの意見に従えば、ローマ市民たちは人間の尊厳を十分に実現する機会を、みすみす逃してしまったという。それもこれも自由を捨てて、奢侈に走ってしまったからだ。」当時文明の栄華を極めたイギリスを、歴史の流れの中で廃墟化した他都市を鑑みて、憂いを感じ取った文章では、ローマのみならずギリシャにも同様な思いを抱いたようです。「1749年、ひとりの若いアイルランド人がアテネを訪れた。このチャールモント卿(伯爵)に対しても、ギリシャの廃墟はやはり同じような教訓を開示した。自由を踏みにじった専制政治の勝利ということである。かつてペリクレスの時代に繁栄を誇った都市が、トルコの支配下では、わずか数千人という人口になってしまった。この情況を見ると、なおさら教訓は真に迫って感じられた。中でももっとも悲しく思われるのは、ギリシャ人の性格が堕落してしまったことだった。」最後に題名にもなっている「オジマンディアス」という語彙に関する文章を拾います。「レプティス・マグナの廃墟をイギリスに運搬した船は、同時にそのとき、巨大な花崗岩でできたエジプトの王子の頭部を運んでいた。この彫像の頭部は、テーベの神殿から沙漠を横切って運ばれてきたものだった。それがラムネス二世の頭部だということをわれわれは今知っているが、1818年の3月にそれが判明したとき、だれがいったのだろう、この像を『オジマンディアス』と呼んだ者がいた。」つまり「オジマンディアス」はラムネス二世の別称でした。今回はここまでにします。