Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「納戸神」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第8章 聖母像の変装」は4つの単元から成っていて、今回は「4生月の『納戸神』にみる聖母像」を取り上げます。「生月の納戸とは、窓のない物置であり、座敷に面した戸は締め切りになっている。納戸神は平素は箱に入れて麦俵や糸車などの間に仕舞い、年に12回、祭りのときに納戸に飾り付けるが、決して納戸の外には持ち出さないことになっている。女性は一切それに触れることができず、男であっても『お番役』以外は手を触れることはできない。祭りの時も正面からこれを礼拝するのはお番役だけで、その他の信者はこれに背を向けて礼拝する。納戸の中の神に対して、神棚、荒神棚、仏壇が目につくところに備え付けられており、床の間には天照大神と書いた掛け軸、恵比寿、大黒などの置物を置く。これらを『表神』という。これに反して『納戸神』は秘匿された神なので、部外者は見ることも撮影することもできない状態だった。~略~変装はキリスト教布教地のすべての地域で起こっている世界的現象である。インドでは、聖母の顔容がインド化している。中国では聖母の容貌がアジア的な特徴を示し、家具調度は中国風になっている。~略~インド、中国の場合に『現地化』がなされたのはその地における宣教師の順応策の実践のためであった。メキシコにおいては、それが経験的に現地女神と習合したのであったが、インド、中国では、ポルトガル系統のイエズス会は高度な文化をもつ国家ではそのような適合、順応が政策的にふさわしいし、西の図像に東の衣服、顔容を重ねたのである。そこに統括者ヴァリニャーノの関与があったことはすでに述べたとおりである。~略~生月島の納戸神は、その信仰の形態を反映して、原図の基本構成を保存してはいるものの、様式、手法は土俗的となり、図像は仏師と融合している。これは日本の迫害期に発生した融合的な『土着化』図像というべきであろう。海と山の、温和で明媚な自然に包まれた生月では、農民、漁民の暮らしは、彼らを包む自然を小宇宙として完結し、彼岸は中江ノ島にあり、聖地は先祖の殉教の地にあった。イエスも聖母も聖人も先祖の姿形をとり、その苦難の歴史は彼ら自身の歴史であった。この独自で、固有の閉ざされた信仰/生活空間の中で、彼らを支えたのは信仰の中心である画像であった。そしてその画像もまた、大いなる母とその子の観念を骨格として持ちつつ、慣れ親しんだ仏画の、天女、瑞雲、そして衆生の救済のためにくだる来迎の仏の形状と融合していたのである。」今回はここまでにします。