2012.11.14
「カンディンスキーにとって、調和に至る関係とは、場合によっては一方に服従を強いるものであった。彼は舞踊の他にも、あらゆる芸術手段の“依存”ー例えば、オペラにおける音楽と歌詞、バレエにおける物語と運動などーを否定する。そこに浮かび上がるのは、カンディンスキーの世界観である。彼の考えでは、調和とは、音楽について言えばある音を主音とした調声に支配されて成立するものであり、そうした芸術世界は各要素の服従なしにはありえないものである。カンディンスキーの目指す『記念碑的』芸術としての〈舞台コンポジション〉はそうした単調な世界ではなく、どの要素も支配的地位につくことのない、多調・多彩な総合世界を提供するべきであった。全ての要素が同等の価値を持つものとして扱われてこそ、総合芸術はあらゆる民族・文化に向けられた世界芸術となり、それこそがー現実社会において不可能でもー芸術の『帝国』だけが達成しうるユートピアになると、カンディンスキーは考えたのだろう。」(「青騎士の誕生 カンディンスキーの舞台美術」小林奈央子著 早稲田大学出版部)当時、カンディンスキーが考えていた芸術世界は作曲家シェーンベルクが提唱していた無調音楽も念頭に入れ、それぞれの媒体が主従の関係から解放されて、独立した表現を持つことでお互いに緊張を作り出し、それらを併せたものでした。昨日、自分はNOTE(ブログ)に拡散彫刻のことを書きましたが、彫刻というひとつの媒体であっても、独立した不調和な複数形態がアンバランスな中で作り出す空間が、カンディンスキーの舞台美術と同じコンセプトではないかと考えます。そんなことに思いを馳せながら、現在カンディンスキーの研究書を読んでいるところです。