Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

夢で見た負の空間
もう一度人生をやり直せるなら、自分はどうなっているのか、こんな夢を幾度となく見ています。やはり彫刻をやっている夢の中の自分がいるので、現在やっている彫刻表現に、自分は満足しているのかもしれません。若い自分は大学で人体塑造をやっています。これも自分が歩み始めた頃と同じです。ただ、違っていたのは最終表現でした。通常、粘土で人体を作った後、石膏取りをします。粘土の上を石膏で覆って雌型を作り、そこに剥離剤を塗って、同じ石膏を流し込み、雌型を割るのです。そうすることで粘土で作った塑造は石膏に置き換えられることになり、粘土よりは保存がきくのです。夢で見た塑造は雌型をそのまま使って、雌型の裏側にある凹んだ人体を、言わば負の空間として作品に生かしていました。厚手の直方体の中に雌型になった凹んだ人体が食い込んでいます。この夢は次作として展開するイメージとは違います。夢は夢のままなのです。自分が現実に目指す世界観とは異なるのです。実際の次作のイメージは夢ではなく、現行の制作途中で何となく湧きあがってきたり、天上から降ってきたりするのが、自分にはよくあってそれが契機になって新たな制作に入っていくのです。夢はもう一度創作人生をやり直すとしたら、別の表現に立ち向かう自分が見えていると考えます。石膏で作った負の人体を、夢の中では鉄にも置き換えています。雌型は熱した鉄を叩いて凹ませています。こんな具体的で疲労を伴う夢があるでしょうか。普段から彫刻にどっぷり浸かっているからこそ見る夢なのでしょうか。時間ができたら、夢の具現化を一度やってみたいとも思います。不思議な心理状態を今日はNOTE(ブログ)に書きました。