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「千利休 無言の前衛」読後感
「千利休 無言の前衛」(赤瀬川原平著 岩波新書)を読み終えました。これは千利休の審美眼を当時の前衛として、現代と絡み合わせて述べている文化横断的で楽しさ溢れるエッセイでした。利休の創り出した侘び・寂びの斬新さとは如何なるモノか、茶を飲む行為を核として、建物や庭園を初めとするあらゆる環境を創出させる芸術は、まさに当時としては新しい思想を孕む前衛芸術でした。そこに柔軟で饒舌な主君豊臣秀吉がいて、利休の新しさを認めながら、やがて対照的な2人が精神的な対立を生む図式が見て取れます。秀吉は利休ワールドの沈黙が怖かったのでしょうか。一文を引用します。「利休は言葉を使わずに、何ごとかを黙って示す、ということになる。示すというより、黙って置くのだろう。その置かれたものに人が何ごとかを気付いてくれればいいし、気付いてくれなければ仕方がない。そのまま黙っている。というふうであったろうと想像している。何ごとかを説明し、説得する、というようなことからはいちばん遠い人だと思うのである。いっぽう秀吉というのは、何ごとかを示しながらどんどんしゃべる、そんな人ではなかったのか。言葉が豊富に出てくる。そのスピードが身上である。戦においても、本能寺の変で備中高松から一気に駈け戻って明智光秀を討った作戦行動は、その猛スピードが語り草となっている。~略~そういうスピーディな状況の中で、その中枢にいた利休の沈黙は相当際立ったものであったろう。スピードとエネルギーがしのぎを削る世界で、それを見切った上での沈黙の存在が、逆にもっともスピーディな表現として機能したのに違いない。」