Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「白光」を読み始める
キリスト教の聖像画(イコン)を描いた画家山下りんを知ったのはいつ頃か、私は教職にあった頃に北海道を旅行して、道内のどこかのハリストス正教会に辿り着き、そこで初めて山下りんによるイコンを見たのでした。それまではそんな画家が日本にいたことなど知る由もなく、しかも明治時代の封建的な風土の中にいた女流画家なんて、周囲との摩擦が想像されるだけに俄かに信じられなかったのでした。それでも女流画家山下りんは確かに存在し、数々のイコンを残していました。山下りんとはどんな人物だったのか、どんな生い立ちをしているのか、私が北海道で見たイコンのことを思い出したのは、新聞記事で山下りんの生涯を著した新書が発売されることを知ってからでした。横浜の大手書店にはその書籍を置いていなかったので、そこで予約注文し、漸く手元に「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)が届きました。本書には一章に入る前に序章「紅茶と酒とタマートゥ」があり、年老いた山下本人が独白する場面が描かれていました。タマートゥとは赤茄子と書いてあるので、トマトのことだろうと思います。私の亡くなった祖父母もトマトのことを赤茄子と呼んでいました。「近所の者らは誰も知らないけれど、わたしはかつてロシアのペテルブルクに留学していたことがある。女子修道院の聖像画工房にいた。そこには、前掛けをつけて絵筆を揮う修道女たちがいた。死なば死ね、生きなば生きよ。そう心に決めてロシアに渡ったのだ。あやまちばかりの、吹雪のような青春だった。けれど胸の中には高々と燈火を掲げていた。芸術の道を求めてやまなかったのだ。我を忘れるほどに描き、一日、一週、一年、そして一生を過ぎ越した。乳香の匂いがして、夥しいほどの蝋燭の灯が揺れる。聖堂の鐘が鳴り、祈りの声が高く低く響き、やがて空から光が降ってくる。わたしはかつて、日本でただ一人の聖像画師であった。」山下りんの晩年は絵筆を持たず、信仰も芸術のことも口にしなくなっていたようです。これからこの類稀な人物を描いた「白光」を読んでいきます。ただし、ドキュメンタリーではなく、これは取材を重ねた小説なので、そこは多少のドラマを創り出していることはあるだろうと思います。その分、読む楽しさは倍増するはずです。