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「岡倉天心と美術史学の形成」のまとめ①
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「3 岡倉天心と美術史学の形成」について前半部分をまとめます。ここでは天心が東京美術学校で講じてきた「日本美術史」や「泰西美術史」の内容について論じています。その動機付けとなった文章を引用いたします。「天心が企てた日本美術の再興という運動は、しばしば誤解されてきたファナティックな国粋主義とは異質なものである。それは今日的な視点からすれば、『文明開化』の名の下に強引に押し進められた、当時の根無し草的な欧化主義に向けられたひとつの文明批評であったと見ることもできる。」天心の言葉も含めて、その内容を書いた箇所がありました。些か長い引用になりますが、御容赦ください。「天心の最初の『美術史』であり、芸術的精神の自覚史として構想された『日本美術史』に及ぼしたヘーゲル的進化思想の影響を確認していこう。天心は日本美術史の時代を区分して次のように説いている。『日本美術史を大別して、古代、中世、近世の三時代となし、古代は奈良朝、中世は藤原氏時代、近世は足利氏時代とす。奈良朝は彫刻を以て成り、最も理想的の観念に富み、其の仏教の性質は小乗にして、人界と仏界とは近からざるものとなせるを以て、其の仏像は人間以上高尚のものを以て成れり。…中世美術は感情的にして、人間の情に因て生じ、其の宗教は密教を主とし即身成仏を説き、人間も仏の情あり、仏も亦人間の情ありとなし、人仏の間は遠からざるものとせり。…而して此の余流を組みて鎌倉時代を成し、之れ亦感情の美術なり。…足利氏に至りては、藤原時代の感情的は一転して自覚的となり、自ら其の物を覚りて作る。日本美術は理想、感情、自覚の三性質ありて、自覚的の思想は、今日に至る迄、殊に維新前迄尚ほ日本美術を支配し、探幽の如き此の思想に支配せられ、近時に至りて応挙出でて写生を以て変化を試むも、亦此の思想中にあるものなり。…之を要するに、奈良期は理想的にして壮麗なり。藤原氏時代は感情的にして其の極優美なり。足利氏時代は自覚的にして高淡なり』この日本美術史における小乗仏教の『人界と仏界とは近からざる』ことから生じる理想的美術から、浄土信仰に基づく大乗仏教の『人間も仏の情あり、仏も亦人間の情ありとなし、人仏の間は遠からざるものとする』ところから生じる感情的美術を経て、禅宗の『自ら其の物を覚りて作る』自覚的美術に至る歴史的展開に、ヘーゲルがその美学で説いた絶対的精神の自覚のプロセスが仏教思想に形を変えて読み込まれているのではないか。」今回はここまでにします。