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「鷗外とシェリングと美学」のまとめ①
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「4 鷗外とシェリングと美学」について前半部分をまとめます。本単元では、今まで頻繁に登場した岡倉天心の思想と離れた立場から、美学について取り上げています。まず思想家西周が登場します。「西欧美学思想を他の哲学諸部門の学とともに、百科全書的な啓蒙という視点から紹介した最初の人物として挙げなければならないのが西周である。~略~西周は鷗外と同じ山陰の津和野の出身であり、鷗外が志を立てて上京し最初に寄寓したのが西周邸であった。~略~西周の美学論としては、次いで明治五年一月頃の御進講の手記『美妙学説』があるが、これがわが国での最初の独立して講じられた美学書である。全体は四章からなっており、『哲学ノ一種ニ美妙学ト云アリ。是所謂美術ト相通ジテソノ元理ヲ窮ルモノナリ』という言葉から説き起こされる。」さらに前のNOTE(ブログ)に記した美学に関わる著述について「美術真説」と「維氏美学」について、ここで再度詳細が述べられていました。「明治初期のわが国の美術界に深甚な影響を及ぼした芸術論と言えば、まず何よりも明治十五年五月に龍池会主催によって上野公園内教育博物館で行なわれた文部省御雇教師フェノロサの講演で、同年十月に大森惟中筆記、『美術真説完』、龍池会蔵版として発行された美術論を挙げなければなるまい。この講演はもともと実用的で具体的な美術振興策を論じる意図でなされるはずのものであったが、そのためには『専ラ実際ニ適スルヲ要旨トスルモ、之ヲ証センガ為ニハ多少理論ニ渉ラザルヲ得ズ』と述べ、まず西欧において行なわれている美術理論一般がいかなるものかを論じ、自らの『説ノ拠ル所ノ真理ヲ約述』している。」その一方で「フェノロサの龍池会での講演が行われた翌年の明治十六年から十七年にかけて、中江兆民が文部省の委託を受けて翻訳したウジェーヌ・ヴェロンの『美学』が『維氏美学』の表題で、上下二冊に分けて文部省編集局から出版されている。現在われわれが用いている『美学』という呼称は、この翻訳書に由来するものだと言えるが、皮肉なことにおよそこの書ほど反美学的な美学はない。その結論からしてヴェロンは、ギリシャのプラトンから現在のアカデミーの理論に至るまで、美学の歴史はおよそ形而上学者が産み出した空理空論の最たるものであり、いかに緻密な論を立てているように見えたとしても、それは所詮屋下に屋を架してその止むところを知らぬようなものであると述べている。」という翻訳書もあったようです。今回はここまでにします。