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「鷗外とシェリングと美学」のまとめ②
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「4 鷗外とシェリングと美学」について後半部分をまとめます。「日本絵画ノ未来」と称する講演を東京帝大教授の外山正一が行なったところ、賛否両論が起こり、森鷗外が反論しました。「鷗外にとって外山のいう感動とは『実感』というものであって、『審美的仮感』というものではない。~略~真に芸術を理解するためには、時代の『好尚』を去って『高尚』に就くべきであり、これを可能にするのがハルトマンの『小天地主義』の理論であると、鷗外は説くのである。つまり具体的な芸術作品という個物のうちに反映する普遍的な世界を直観する、すなわち『梯を隔てて大天地を望む』という、シェリングに通じる美的汎神論的な世界観が提示されるのである。」ハルトマンとはハイデガーに先行したドイツ存在論を説いた人で、鷗外が影響を受けた哲学者でした。「鷗外はハルトマンの美学を、『抽象的理想派』に対する『結象的理想派』の審美学として特徴づけ、この抽象的から結象的の間に、『類想、個想、小天地想』の美の階級を分けている。シェリングならば、『普遍、特殊、無差別』と規定するところであろうが、ハルトマンは類想を卑しんで個想を尊ぶという。つまり特殊的あるいは個別的なものへの関心が強いのである。ハルトマンにとって類想とはその内容として含むところの少ない鋳型のような観念であり、そこに美が認められるとしても、わずかに個想との境目に生じるのであり、『今や趣味識の経験事実』であるといっても、ほとんど反対する人はないであろうと述べている。」その後に没理想論争について書かれていましたが、私はこのあたりの美学とは何ぞや?という論理論争にはついていけず、個人的にこの単元はここまでにしたいと思います。