Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「縄文土器」と「ラスコー壁画」について
「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)の最初の単元2つをまとめます。ひとつは「揺らめき立つ雪国の情念」と題された単元で、縄文の火炎土器を扱ったものです。もうひとつは「戯れる動物たちの宇宙」と題されていて、これはラスコー洞窟壁画を扱っていて、日仏の先史時代に残された遺物より興味深い考察を進めています。まず縄文土器で留意した文章から引用します。「岡本太郎は、ラスコーやアルタミラに壁画を残したヨーロッパ先史時代の狩猟生活者を念頭に置いて、縄文土器の不合理な荒々しさ、非対称性、不規則を語ったが、しかしよく見ると、火炎土器、そして異様な形状の土偶でさえも、規則性をベースにしているのである。火炎土器の口縁部に隆起する鶏頭冠と名ざされた装飾は、この種のどの土器においても四つであるし、それらはきれいに対称的に配置されている。土偶の右半身と左半身の装飾も対称にほどこされていることが多い。が、それにもかかわらず、規則性には安住していない生の強い息吹がそれらの表現から迸っているのである。その生命の躍動は、ラスコーの洞窟壁画にある牛や馬たちの屈託のない動きとは別種なのだ。規則的なもの、必然的なものに生活の基盤を置きながら、不規則的なもの、偶発的なものの豊かさに魅せられている人の緊迫感、緊張感、そして繊細さに刻印されているのである。」縄文土器には煮炊きした跡があり、それは祭儀などの特別な場合であったろうと推察されています。次の単元にあるラスコー洞窟壁画へ進みます。「自然の生命力は、人間に恵みをもたらしはするが、本質的には人間の個としての存在など意に介さず、無益に自然自身の産物を滅ぼす。太古の人々は、自然界に豊饒を祈願しながらも、その恐ろしい力を称え、かつこれと交わろうとした。人間の弱さ、小ささ、死を意識するなかで、巨大な自然の生命力をできるだけ深く体験しようとしていたのである。芸術の創造は、このような自然崇拝と紙一重の近さにある。自然の力に畏敬の念を覚えていた人々が、その畏敬の念から新たに、道具以上の何かを創造してみたいと思うようになったということである。動物の図像を描いても、動物を捕獲するための道具にはない生命感を、つまり動物が発する力強い生命感を、その図像に込めたいと思うようになったということである。」後世になって芸術の概念が培われた時代に、洞窟に残された図像が、芸術の黎明期として認識されたのでした。