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シュルレアリスムと夢解釈
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)を読んでいて、夢に関する論考があって気を留めました。シュルレアリスムが夢の解釈に接近したことは、本書を読む前から私は知っていました。だからこそ、というわけではありませんが、ジークムント・フロイト著作による「夢解釈」(金関猛訳 中央公論新社※「夢判断」とする書籍もあります)を私は既に読んでいて、夢の分析と理解に努めていた時期がありました。あの頃は精神分析の一分野としては、大変面白く読んでいました。本書では夢に関する記述が4つあって、その冒頭部分を引用いたします。まず一つ目です。「夢がいとなまれている(いとなまれているとみなされている)かぎりでは、どこから見てもそれは継続しているし、まとまった組織体の形跡をとどめている。ただ記憶のみが、不当な推移をわがものにして、夢をばらばらに切りはなし、場面のつなぎなどは考慮のほかに、夢そのものよりもむしろ、いくつかの夢のシリーズを私たちに見せているのだ。これと同様に、私たちはもろもろの現実についても、つねに個別的な表象しかいだいていないわけで、このような調整は意志のなせるわざである。」二つ目です。「いまいちど、覚醒状態をとりあげてみよう。私はそれがひとつの干渉現象であると考えないわけにはいかない。精神は、覚醒の諸条件下にあるとき、方向喪失への奇妙な傾斜を示すことがある(これはあらゆる種類の言いまちがいや思いちがいのくりかえしなのだが、その秘密もようやく私たちにあけわたされはじめている)ばかりでなく、正常にはたらいているばあいでも、私が精神のすぐれた部分として認めているあの深い夜のなかからやってくる暗示と、まったくべつのものに従っているようには思えないのである。」三つ目です。「夢をみている人間の精神は、自分におこることにすっかりみちたりている。できるかどうかという不安な問いも、もう問われはしない。おまえの好きなだけ、殺すがよい。いっそう速く飛ぶがよい、愛するがよい。」四つ目です。「夢がなにか系統だった調査に付され、これから決定されるはずのもろもろの手段によって、ついに完全なかたちで私たちに理解されることになり(その前提として幾世代かにわたる記憶の訓練が必要だが、とくかくきわだった事実を書きとめることからはじめよう)、夢の曲線が類を見ない周期と幅とをもって伸びひろがるようになったとたん、神秘ならざるもろもろの神秘が、この大いなる〈神秘〉に道をゆずるだろうと期待する。」ブルトンの論考は、些か詩的な箇所があって、感覚として捉える必要があるようです。