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シュルレアリスムの自動記述
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)を読んでいて、漸く「自動記述」のことに触れた箇所が登場してきました。その前段階として詩についての記述がありました。「詩は私たちの耐えているもろもろの悲惨に対する完全な補償をうちにふくんでいる。詩はまた、なにかさほど本質でない失意におそわれて、それをすこしでも悲劇的にとらえたいなどと思うときには、とりなし役をはたすこともできる。」そうした詩の本質を踏まえて、自動記述に関する文章がありました。「文学的にどんな結果が生じうるかなどはみごとに無視して、紙に字を書きまくることをくわだてた。」この箇所があった頁に注釈が掲載されていて、著者の具体的な記述があったので引用いたします。「いきなり、偶然に、じつに美しい文句が、いままで書いたこともないような文句が見つかったのだ。一語一語、ゆっくりとくりかえしてみたが、どれもみごとなものだった。しかもどんどんつづいてくるのだった。私はおきあがって、ベッドのうしろのテーブルの上にある紙と鉛筆をとった。ちょうど私のなかでどこか血管がやぶれたかのように、つぎからつぎへと言葉がやってきて、それぞれ適当な場所におさまり、場面にぴったりはまった。私の頭のなかに、舞台がつみかさなり、筋が展開され、台詞がわきあがってきて、私はおどろくほど有頂天になった。いろんな着想があまりにも迅速にやってきて、あまりにも大量に流れつづけるので、微妙な細部をたくさんとりにがしてしまったほどである。なにしろ、私の鉛筆はそんなにすばやくはすすめられなかったから。」ここに論理的思考はなく、溢れ出る言葉の発露に身を任せている著者の姿があります。つまり、シュルレアリスムとは何か、著者自身が定義した文章がありました。「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」