Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「溶ける魚」5~10について
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の「溶ける魚」の5から10までの単元の中で、気に留めた詩文をピックアップいたします。まず単元5です。「私のベッドから見えるのは、通りで心臓のように動悸をうっているホテルの巨大な常夜灯だけで、その動悸の一方には、中央の、という言葉が、もう一方には、寒さ、という言葉が書かれていたーといっても、ライオンほどの寒さか、あひるほどの寒さか、それとも赤ん坊ほどの寒さなのか?」単元6に移ります。「大地は私の足の下にくりひろげられる新聞にすぎない。ときたま写真が目にはいり、それはいくらか興味のあるものだし、花々はそろってその匂いを、印刷インクのいい匂いを立ちのぼらせている。若いころにきいた話では、熱いパンは病人にはがまんのならぬものだそうだが、それでもくりかえしいおう、花々は印刷インクをたてていると。」単元7に移ります。「私たちは芸術を、そのもっとも単純な表現、つまり愛に限定しよう。労働も限定したいところだが、いやはや、こちらはいったい何に?死によって報われるゆるやかな懲罰の音楽だろう。なんなら誕生に対しても、通りがかりの葬式に対して示すあのうわべだけのやりかたで挨拶しよう。」単元8に移ります。「薔薇の花のエプロンをしたどんな聖女が、石の血管のなかにこの神聖なエキスを流しこんだのだろうか?毎晩、乳房よりも美しい不可思議な鋳造物が新しい唇のためにひらかれ、渇きをいやす薔薇の血の効き目があたりの空いちめんにつたわってゆくあいだ、とある円型ベンチの上で幼い子どもがひとり、ふるえながらむなしく星をかぞえている。」単元9に移ります。「けがれた夜、花々の夜、喘鳴の夜、酔わせる夜、音のない夜よ、おまえの手は、四方八方の糸、黒い糸、恥ずべき糸にひきとめられている卑しい凧だ!白と赤の骨の野原よ、いったいどうしたのだ、おまえのけがらわしい樹々を、おまえの高木性の無邪気さを、そして、びっしりならぶ真珠や花々にかざられ、まあまあの銘句やどうとでもとれる意味のはいっているひとつの財布にひとしいおまえの誠実さを?」単元10に移ります。「箱のなかには澱粉がはいっていただけだった。ポールとヴィルジニーとは、この物質の結晶化の二形式をさしていたわけで、私はもう二度と彼らに会うことがなかった。あのころは愛がふたたび私をとらえ、ほかのさまざまな放蕩へと私をひきいれていたからだが、それについてはよろこんでいつかお話ししよう。」今回は以上になります。詩文には生々しさがあって、それがブルトンの特徴なのかなぁと思っています。