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東京駅の「佐伯祐三展」
先日、東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催している「佐伯祐三展」に行ってきました。画家佐伯祐三の世界について、私は高校時代から慣れ親しんだ画風であって、最初は画集で見ていたのが、機会をとらえて実物を見に行くようになりました。今でも印象に残っているのは、パリの裏町を描いた数々の油絵で「ガス灯と広告」や「新聞屋」、「広告貼り」といったポスターの文字が乱雑に入り乱れている有名な作品群です。色々調べていくうちに私は、佐伯に付き纏っていた寿命に対する懸念が、本人にあったのではないかと思うようになりました。浄土真宗光徳寺の住職であった父や弟の病死もあり、佐伯自身も東京美術学校在学中に喀血をしたという記録が残っているからで、とくに2回目のパリ滞在では、時間に急かされるように制作に打ち込んでいたようです。図録にはこんな文章がありました。「モーリス・ド・ヴラマンクの叱責を受けての開眼、1日に何枚も描いたという情熱的な制作、晩年の結核の悪化に伴う精神錯乱、30歳での夭折と愛娘の死という悲劇に至るまで、佐伯にまつわるさまざまなエピソードはこの画家を半ば伝説的な存在にしている。」仏画家ヴラマンクから、学校で教育される伝統技法としてのアカデミズムを批判され、それまで学校では優秀な学生だった佐伯が、奈落の底に落とされる憂き目に遭遇し、そこから再生を期すためにパリの場末の裏町で、汚れた広告で埋め尽くされた壁を描ききるようになるのは、美醜の価値を転換することだったのだろうと察します。図録にもこんな論考がありました。「他者との共有や共感といったものにそもそも眼が向けられていないことは、対象との関係性にも表れている。しばしば指摘されるように、佐伯の描く街はどこまでも『佐伯祐三の眼』によってとらえられた街であり、そこには街に生きる人々の生活もなく、他者の関わりをほのめかすものは何もない。時々現れる点景の人物も、個性ある人間として画家の眼に映っておらず、あくまでも画面を彩る一つの要素にすぎない。」(引用は全て高柳有紀子著)これはまさに都市風景画家としての佐伯の存在と著者は言っていますが、まさにその通りだと思いました。佐伯祐三論には早世ゆえの生涯のドラマを書いたものが見受けられますが、都市風景画家として捉えた今回の展示に対する切り口は、大変興味深いものでした。