Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ゆるやかな運動」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅱ部 ダダからシュルレアリスムまで」の「第二章 ゆるやかな運動」についてまとめます。「ある晩、4,5人の仲間がアンドレ・ブルトンのアトリエに集まった時、ダダを引き継いで彼らの結集を可能にする精神状態はいったい何なのか、という話題になった。アラゴンは『リベルティナージュ』の中で、それを『ゆるやかな運動』と名づけることで意見が一致したと述べている。」著作に表記されたさまざまなブルトンの交友の中で、マルセル・デュシャンが登場してきます。「1913年のアヴァンギャルドの最初の展覧会アーモリー・ショーに『階段を降りる裸体』を出品して輝かしい成功を収めて以来、彼の立ち居振る舞いはすさまじい反響をひき起こしていた。つねに既成の流派に先んじていたから、あらゆるレッテルを拒否し、ついには『網羅的絵画』〔デュシャンの用語〕さえも放棄したのだった。彼は1915年から『大ガラス』を手がけていたが、誰もそれを見た者はなく、その正確な意図も理解できなかった。とはいえ、彼の無礼な態度は人びとに知られていた。ニューヨークのアンデパンダン展に『泉』と題して展示された便器、『L・H・O・O・Q』〔『彼女はお尻が熱い』の意味になる〕という題をつけた口髭のあるモナリザ。サロン・ダダの企画者への回答『ポード・バル』、日用品を選択者の個性によって芸術的尊厳にまで高めた『レディ・メイド』(空き瓶掛け、雪かきスコップ)などである。」一方、ブルトンの交友の中で、やがてシュルレアリスムの概念となる最初の表出が現れます。「ブルトンは催眠実験を集団で行うことによって得られたばかりの啓示にすっかり満足したので、それから十日もたたないうちに、『リテラチュール』の読者に『霊媒の登場』を予告したのだった。あの世の存在という仮説をきっぱりと遠ざけて、彼は今回の発見を『文学』に決着をつける新しい手段として、詩的領域に位置づける。つまり、『シュルレアリスム』という概念の内容を夢の状態に対応する心的活動の表出の総体にまで拡大したのだ〔『シュルレアリスム』という語が運動体を指すものとしてもちいられるのは、『霊媒の登場』が最初である〕。」今回はここまでにします。