Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「出発の準備」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅴ部 移住と亡命」の「第一章 出発の準備」についてまとめます。「八月末、メキシコ・シティでのトロツキー暗殺のニュースが届いた。もはやスターリンにたいするいかなる意義申し立ても不可能だということをマビーユはただちに理解した。見かけよりも感じやすい人間であり、自分の感情をあまりうまく制御できないブルトンは、涙にむせんだ。」愈々ブルトンはアメリカへ移住する決心をしたのでした。「蒸気船海運会社のキャピテーヌ・ポール=ルメルル号は、アンチル諸島に向けてマルセイユから出航した最後の船の一隻で、しかもおんぼろの小舟だった。船上にはブルトン一家(旅費はペギー・グッゲンハイムが出してくれた)、ヴィクトル・セルジュ一家、ヴィフレッド・ラム、それに『悲しき熱帯』の冒頭でこの船と乗船客のことを描くことになるクロード・レヴィ=ストロースがいた。~略~レヴィ=ストロースは、船がカサブランカに停泊したさいにブルトンが提示したパスポートを見て、彼だということに気づいた。『アンドレ・ブルトンは、このガレー船のような船の居心地がひどく悪いのか、甲板のところどころにある空いた場所を行ったり来たりしていた。フラシ天の服を着ていたので、青い色の熊のように見えた。彼と私の間にはその場かぎりのものではない友情がすでに文通によって生まれはじめていたのだが、このいつ果てるとも知れない船旅の間もその友情は継続され、わたしたちは審美的な観点からの美と絶対的なオリジナリティの関係について議論を交わしたりした。』〔『悲しき熱帯』1955年〕やがてブルトンはアメリカに到着します。「もし周囲の状況が許せば、ブルトンはあらたに友人となった黒人たち、とりわけエーメ・セゼールーこの男こそ生まれながらの詩人と見なしたブルトンは、彼の詩集『帰郷ノート』に序文を寄せているーとともに、この島で暮らしたいと考えたことだろう。だが彼はカリブ人たちの魅惑から身を引き離して、もっと安全な避難所をアメリカに求めねばならなかった。」今回はここまでにします。