Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「花嫁のヴェール」➁について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第一章 花嫁のヴェール」は、デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という大きなガラスを使った代表作品の思考経路やその思索を紹介した章です。「〈グリーン・ボックス〉は1934年にマルセル・デュシャンによって作成され、300部作られた。この〈グリーン・ボックス〉に含まれるのは、大ガラスのためのさまざまな習作の複製と大ガラスの連続的変化状態の複製に加えて、50枚ほどのさまざまな紙片、つまりノートの紙質、色彩そして亜鉛の母型で切り抜いた形に至るまでの緻密な複写である。~略~ただただ繰り返し言っておきたいのだが、われわれの意図は解釈することではなく、大ガラスの解説的カタログをなす資料を読み易く提示することなのである。」そのあとに続く文章は細かな単元に分かれていて、その内容もデュシャンの脳内で綴られた短文や数式がでてきて、私には理解が覚束ないものばかりでした。「1 余白のノート」の冒頭の文章には「『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』とは、つまり既製品を、次々と、自然に思いついたものからそらすためのもの。ーそらしとはひとつの操作である。」とありました。「8 花嫁」にもこんな文章がありました。「一般的に、この花嫁内燃機関が処女性の頂点としてすなわち無知な欲望、(ほんの少しの悪意がこもった)無垢な欲望として現れなければならないとしても、そして(図形的に)花嫁内燃機関が重力バランスの法則にかなう必要がないとしても、それでも一本の光沢性の金属支柱はこの処女とその友人や家族とをつなぐものに見せかけることができよう。これら友人や家族は図形的には大地にある一つの堅固な台座に対応する。独身者=機械の組積構造の下部 がそれ自体大地にのっているように。〈花嫁〉は彼女自身の基礎部分では 内燃機関をなす。しかし、花嫁は臆病な力を伝える内燃機関であるまえにーこの臆病な力そのものなのである。この臆病な力は一種の小型自動車、愛のガソリンであり、愛のガソリンはその、恒常的 生命の火花の及ぶところまで、非常に弱いシリンダーに供給されて、この処女が欲望の果てで開花するのに役立つ。」今回はここまでにします。