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「ローズ商会」について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第二章 ローズ商会」について気になった箇所を引用いたします。本章は前章ほどボリュームがあるわけではなく、デュシャンの造形とは異なった表現分野を扱っていました。「本章には、さまざまな近似的言語に立脚する二種類のテクスト集を収めた。それらは同じ知的アプローチから生じているからである。二種類のうち一つは『ローズ・セラヴィ』で、1939年にG・L・M出版から『新しい財産』叢書の小冊子の選集として刊行されたものであり、もう一つは、デュシャンの言葉を借りれば『かびの生えた文集』と題して分類されたもので、ダダイズムやシュルレアリスムの雑誌、展覧会のカタログその他雑録集のあちこちから拾い集めたコントルペトリー〔言葉遊び〕や同タイプの言葉の『ブリコラージュ』〔ありあわせのもので作り変えること〕である。」この二種類のテクストの内容に関する趣意をまとめることは私には難しいので、ここでは序文にあった文章を引用いたします。「おおよそ、言語に関するデュシャンの激しい破壊熱は二つのレヴェルで、しかもたびたび交差するレヴェルで現われると言える。語のレヴェルと文のレヴェル、すなわちテクストの細胞構造の面でのレヴェルである。実際、全体的に再検討されているのはそうしたテクストの本文そのものではない。おそらく、文体論的文脈的攻撃はたぶんそれほど効果的ではないからかもしれないし、とりわけデュシャンは、文学的適性をもつ対象として構成された文章の効力に興味がないからである。」デュシャンが文学性を最初から排除しているのは表現活動を概観すれば、私にも理解できます。「芸術は彼にとって表現手段のうちで最も効果的なものなのである。それゆえに、創造者としては最小の努力でいずれ大きな効果を導くはずなのである。『詩的』行為は科学的たることを意図する原理や経験規則の力をかりれば、あらゆる情念を欠き、熱しない状態に置かれることになろう。」今回はここまでにします。