Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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自分だけではなかった「積ん読」
今日付けの朝日新聞「天声人語」より記事を抜粋いたします。「読みたいけれど、読めない。積ん読というものは何とも悩ましい。どこか後ろめたく、読むと読まないの間の灰色地帯で、ときに溺れかけているような気にさえなる。黄金週間も半分が過ぎた。机のうえに積んだままになっている書籍を、連休中にまとめ読みしよう。積ん読の本たちの『早く読んでくれ』との声が聞こえる。そんな方もいるのではないだろうか。でも、大概うまくいかない。積ん読という言葉は案外と古い。都立中央図書館が調べたところ、起源ははっきりしないものの、江戸時代には『つんどく』や『積而置』との表現が書籍に記されていたとか。」まさにこれは私の癖を指したもので、私は積ん読どころか書棚に埋没している書籍の声を聞くときがあります。私が自宅を建てる時に、書斎は作らないと決めました。書斎などあったらまずそこに入らなくなると踏んだからです。一日の大半を過ごすリビングに壁一面を使って天井までの作り付けの書棚を設置してもらいました。それも対面で設計したので壁二面になります。常に自分の眼に触れていないと書籍のことなど忘れてしまうからです。学生時代から中途半端に読んだ書籍が今もごっそり残してあって、とりわけ難解なものが目立ちます。最近は一度諦めたものを再度挑戦していることもありますが、これがなかなかうまくいきません。自分の興味の対象が次から次へ移ってしまう癖も、積ん読を後押ししているように思います。書籍の中には既に出版されていない貴重なものもあり、表紙が黄ばんだものも数多くあります。我が家の積ん読ナンバーワンはどれかというと、哲学の専門書で「カントと形而上学の検証」(法政大学出版局)と「カント哲学とその周辺」(勁草書房)で、いずれも著者は量義治です。2冊とも最初の頁で断念してしまいましたが、量義治は家内の親戚で叔父に当たります。もう叔父は他界していますが、生前本人から進呈を受けたもので、私はこれを読破して叔父と意見交換が出来ればという希望を持っていました。学生だった私には難解過ぎて、今もカント哲学には近づけていません。現在読んでいる現代美術家の著作集もなかなか手強い書籍です。読書は楽しむ行為ですが、心が折れそうになりながら、深淵を彷徨う行為でもあります。