Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「テクスティキュール」について
「マルセル・デュシャン全著作」(ミシェル・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷)の「第四章 テクスティキュール」について、留意した箇所を拾います。そもそもテクスティキュールとは何か、小雑文集のことを指しますが、著者によって冒頭にこんな文章がありました。「この章には、マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの署名で発表されたあらゆる種類の文章がさらに彼のものとして疑わしくなく、本書のこれまでの分類に入らないものが集められている。」これは個人的な創作メモであったり、内向きな言葉であったりして、読んでいる私にしてみれば難解この上ないものもありました。友人に宛てた手紙が割と理解しやすかったので取り上げました。「私のような俗流科学者は、芸術作品のなかに、科学者精神と制作中の芸術家精神とを同周期的に振動させるような輻射線を探求しています。われらがピカビアなら、ことによるとすばらしい工業デザイナーになるかもしれません。そのときは、彼は私の機械意識を振動させることができると思うのですが、私の美意識を振動させることは全くないですね。あるいはもしそうするとしても、私の知性にとって非常に不愉快な、そして私の理性にとって危険な異常の仕方で、私の美意識は振動することでしょう。」また別人に宛てた手紙も引用いたします。「私の考えをよく理解してください。『芸術的』文学的なところは何もありません。純粋な医学、万能薬、フェティッシュでして、次のような趣旨です。もし歯が痛くなったら、歯医者に行ってください。そして彼がダダかどうか聞いてください。もし討議で議論が尽きたならば、そのときはダダがいかなる『なぜ』等々にも最良の返答になります。」次は「鏡の前の男たち」という小単元がついていた文章です。「しばしば鏡は彼らを閉じ込めそしてしっかり留め置く。彼らは魅惑されて、その前に立つ。彼らは吸収され、現実から引き離され、自分たちの最も親しい悪徳、虚栄と二人きりになる。彼らは万人に自分たちの他のすべての悪徳を教えることができる。しかし、この秘密を、彼らは守って、最も親密な友人の前でもこれを否認する。~略~鏡が彼らを見る。彼らは自分に集中する。丁寧に、まるでネクタイを結ぶかのように、自分たちの表情を作る。無礼で、まじめくさって、見かけを意識しながら彼らは、世界に立ち向かうために振り返る。」今回はここまでにしますが、「第四章 テクスティキュール」が本書の最終章になり、次回はあとがきを読み込んで、本書のまとめにしたいと思います。